明治12年の「新撰早繰年代表」
先月、「安政3年の年忌早見盤」という記事をアップしました。
類は友を呼ぶではありませんが、似たようなものを入手しました。今度のは明治になってからのもので、円盤形の年表といった感じです。
これも中央部に回転式の円盤があります。
円盤の外側の一番若い数字は「一」です。そこをスタートに、反時計回りに螺旋状に内側に向かって数字が大きくなります。▲1つが100です。印刷してある最も大きな数字は「▲▲▲七十六」すなわち三百七十六で、そのあとに空欄があり、そこに朱で4年分の追記があります。
使い方は次のようになります。
上の図で、一番下に白抜きで「己卯」とあります。その1つ内側が明治12年です。中央部の回転円盤の「一」をこのマス目に合わせます。1周60年ですので、1つ内側は60年前、2つ内側は120年前ということになります。土台の方も、一番外側が明治12年ならば、その1つ内側は60年前で文政2年ということが分かります。
最も古い年は永正元年(1504)です。明治12年(1879)の375年前に当たります。多くの年には、その年のできごとが簡単に記されていますので、略年表として使えます。
構造は安政3年のものと同様ですが、ぱっと見でも両者はずいぶん違います。
記事は、例えば次のように、元和元年には「大阪落城」とあり、翌2年には「家康公薨」とあります。
もう明治の世になっていますが、家康は「公」と待遇しています。
そればかりか、文化12年には「神君二百年御忌」とあり、神君扱いが続いています。
マス目が大きくないので、上のように、明治8年の条には「去年大阪神戸ノ間気車出来」とあります。明治7年の条には他の記事が入っているために余白がなく、8年のマスに「去年」として記載しています。
家康と異なり、信長と秀吉は呼び捨てです。
なかなか興味深いです。
「四十七士」って、当時誰もが知っていたでしょうに、うっかりしたのでしょうかね。(^_^;
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