明治9年の『日本地誌略字引大全』
このようなものを入手しました。題簽はありません。
内題はこのようにあります。
著者は神奈川県の師範学校の先生のようですね。
去年の11月にご紹介した本は群馬県の師範学校の編纂でした。明治の初め頃は師範学校がこういった本を編纂していたのですね。
今回入手した本は、「和本、日本地誌略字引大全、三巻」とあったので、全三巻の揃いと思い込んで買ってしまいましたが、そうではなくて「第三巻」の意でした。1冊のみの端本です。(^_^;
この第三巻は、山陰道と山陽道とを収めています。とすると、多分全四巻なのでしょう。
冒頭の丹波は「豊岡県師範校 山宮竹次訂正」とあります。全体の著者は神奈川県師範学校の小林義則氏でも、それぞれの土地の師範学校の先生に確認・訂正して貰ったのでしょう。地名の読みは、その土地の人でないと分からないことも多いことでしょう。
出雲の部。ここも島根県の師範校の先生のチェックが入っています。
驚いたのは「出雲郡」に「シユツト」というふりがなが付いていたことです。これどう考えても「イヅモ」だろうと思いましたに。
調べてみたら、出雲郡は中世に東西に分割されたようで、その東側が出東郡となったようです。それが、近世初期に表記は出雲郡になったのに、読みは従来通り「しゅっとう」のまま残ったようです。
それじゃぁ読めませんよね。国名は古代以来「出雲(いづも)」なわけですから、郡名表記が「出東」から「出雲」に戻った時点で、郡名の読みも「いづも」に戻りそうなものですけれど、そうならなかったのは不思議です。
考えるに、当時の一般庶民の日常生活は表記よりも音声で行われていたことでしょうから、郡名については「出雲」という表記よりも「しゅっとう」という読みが定着してしまっていて、変えることが難しかったのかもしれません。もしもそういうことであるとすれば、こういった表記と読みとの関係は、言語生活や言語意識を考える上での手がかりの1つになりそうに思います。
出雲郡の隣にある「意宇郡」には「イウ」という読みが付いていますね。本来は「オウ」のはずが、表記に引かれて読みが変わってしまったのですね。こういう風に、上の例とは逆に、読みよりも表記が優先することもあるので、一筋縄ではゆきません。
次の箇所を見て、さらにびっくり。「出雲郷」に「アダカヰ」という読みが付いています。
こうなると、なぜそう読むのか見当も付きません。(^_^;
これも調べてみたら、この地にある阿太加夜神社に由来するようです。もう不条理と言っても良いかも。(^_^;
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