能登立国1300年
『西Navi北陸』という雑誌があります。以前、一度だけご紹介しましたように、北陸新幹線の座席に置いてある月刊誌です。この雑誌の今月号の特集は「能登立国1300年、お宝拝見!」です。
平城遷都1300年以来、あれこれの「○○1300年」が登場しますね。古事記1300年(2012)、多胡碑1300年(2013)、養老改元1300年(2017)、大伴家持生誕1300年(2018)など。能登立国1300年は知りませんでした。家持(推定)と同い年ですね。
2020年は日本書紀1300年ですが、何かと話題の東京オリンピックと重なってしまいましたね。不運。
その後で、広く一般にもアピールし得る1300年は、大仏開眼1300年でしょうか。2052年です。あと34年。私はちょっと無理そう。(^_^; ま、2000年というミレニアムを体験できましたので、満足です。←とは言ってみたものの、ミレニアム、あまり関心ありませんでした。(^_^)
話を戻して、特集ページの冒頭です。
解説部分のアップ。
越前国から羽咋郡・能登郡・鳳至郡・珠洲郡の4郡を割いて能登国を分置したわけですが、これら4郡は万葉集の末4巻に登場するように、家持が越中守だった頃は越中国の領域になっていました。
経緯を『国史大辞典』から列挙してみます。
1.大宝2年(702)、越中国から頸城郡・魚沼郡・古志郡・蒲原郡を越後国に移管。
2.養老2年(718)、越前国から羽咋郡・能登郡・鳳至郡・珠洲郡を割いて能登国を分置。
3.天平13年(741)、能登国を越中国に併合。
4.天平宝字元年(757)、能登国を再び分置。
5.弘仁14年(823)、越前国から加賀郡・江沼郡を割いて加賀国を分置。
魚沼産コシヒカリで有名な魚沼郡など、今の新潟県西部は古くは越中国だったのですね。
1~5を図にしてみました。
左上が1、上中央が2、右上が3、左下が4、右下が5となります。
この図は、今日のこの記事のために作りました。(^_^) ブログ命です。ま、今後、講座や講演で家持を対象にするときに使えるかもしれません。
国が細分化されていっており、それに伴って越前国がどんどん小さくなっていますね。
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