「ニッポンの名字」
久し振りに日本郵便のサイトを訪問したら、「ニッポンの名字」というページがありました。
既にご存知の方もいらっしゃることと思います。
名字を入れて検索するとその名字の人数等が出てきます。「名字の由来」については書かれているものとそうでないものとがあります。日本の名字と郵便局との間にはあまり関係はなさそうですが、どうも、年賀状の販売拡大に繋げようという意図があるようです。
「北川」でやってみました。
全国に10万2000人ほどいるそうです。
順位なども書いてあります。
上位の県別の人数も。
滋賀県が一番多いようで、私の祖父も滋賀県出身でした。大阪と東京の人数が多いのは人口自体が多いからでしょうね。
父方の祖母が「柊谷」という名字で、そこそこ珍しいのではないかと思って試してみました。
なんと全国で60人ほどだそうで、「天然記念物級」とのことです。それほどまでとは思いませんでした。
奈良県が2位です。祖母も三輪山の麓の出身でした。
あれこれ遊べます。(^_^)
« 切腹最中&義士羊羹 | トップページ | 朔太郎記念館+巨大金魚 »
「日常」カテゴリの記事
- 小銭持ち(2025.02.06)
- PCとポケットWi-Fi併用(2025.02.04)
- 掃除機のフィルター(2025.02.03)
- 愛用の「万葉巾着」(2025.02.02)
- 体重変化(R5.7~R7.1)&乗り継ぎ最高(2025.02.01)
「歴史」カテゴリの記事
- 『ならら』最新号の特集は「昭和100年」(2024.12.28)
- 『光る君へ ART BOOK』(2024.12.16)
- 『光る君へメモリアルブック』(2024.12.13)
- 萩松陰神社の絵はがきに(2024.12.08)
- 萩の松陰神社のクラウドファンディング(2024.12.07)
三輪に住んでいる私ですが、この姓はお目にかかったことはありませんねえ。
そういえば最近授業で干支の話をしているときに、そういえば辰巳(巽)さんや、戌亥(乾)さんはいるけど・・・丑寅(艮)さんと未申(坤)さんはいないよねえ~って話になって、探してみたら「うしとら」さんは少数ながらいるんですよね。全国で丑寅さんが30人ほど、艮さんが300人弱ほどです。居住地はやはり、奈良と大阪です。けど・・・「ひつじさる」さんはいないんですよね・・・このあたりの理由・・・知りたいですねえ・・・
投稿: 三友亭主人 | 2018年10月19日 (金) 22時13分
三友亭主人さん
地元の三友亭主人さんもこの名字に遭遇したことがおありでないとなると、やはりかなりのレア名字なのでしょうね。
辰巳先生、乾先生は我々の業界にもいらっしゃいますね。(^_^)
丑寅は鬼門、未申は裏鬼門ということで、あえてそういう名字をつけることをしなかったということがありましょうかね。
あと、辰巳と戌亥は3音なのに、丑寅は4音、未申は5音で、比べるとやや長い、ということも多少は影響がありましょうかね。
投稿: 玉村の源さん | 2018年10月19日 (金) 23時14分
>辰巳先生、乾先生は我々の業界にもいらっしゃいますね。
あはっ、そうでしたそうでした。
>丑寅は鬼門、未申は裏鬼門ということで・・・
そうだとは思うんですが、ならばどうして少数ながらも「うしとら」さんはいらっしゃって、「ひつじさる」さんが全く見つからないのか・・・と。五音のせいも全くないわけではないし、だいたい「柊谷」なんかは六音ですしねえ~。
「うしとら」さんはひょっとしたら鬼門の守りをしていらっしゃった方かなあなんて思ったりもするのですが、これもまた「ひつじさる」さんが見当たらない理由にもなりませんしねえ~
投稿: 三友亭主人 | 2018年10月20日 (土) 07時30分
三友亭主人さん
なるほど。
私は、割と雑駁で、「たくさんいる」、「珍しい」、「全くいない」、という場合、「珍しい」と「全くいない」とは同じ仲間と考えてしまいがちですが、この差に明確な理由がある場合もありましょうね。
さらに考えてみますね。
祖母の旧姓は、「ひいらぎだに」ではなく「ひらぎだに」と言っていました。短くしようという方向性はありそうに思えます。
投稿: 玉村の源さん | 2018年10月20日 (土) 08時21分
>祖母の旧姓は、「ひいらぎだに」ではなく「ひらぎだに」と言っていました。
「奈良県宇陀市の榛原でひらぎ屋の屋号で呉服を扱っていたと伝える。」という情報がありました。
https://name-power.net/fn/%E6%9F%8A%E8%B0%B7.html
これが正しいとすれば「短くしようという方向性」というよりは「ひらぎ」という音をどのように表記しようかというところから「柊」という文字が選択されたということになりますね。
・・・どうなんでしょうねえ~
投稿: 三友亭主人 | 2018年10月20日 (土) 23時02分
三友亭主人さん
お知らせをありがとうございます。
榛原が源流の可能性があるということですね。そこから三輪山麓に移住したり、あるいは大阪に移住していったのかもしれませんね。
この「ひらぎ屋」の屋号の意味はどうなんでしょうね。本来は「柊屋(ひいらぎや)」という屋号であったものが短く「ひらぎ屋」と言うようになった可能性もありそうに思います。
もう、何が最初で、何が変化形なのか、なかなか決められませんが。(^_^;
投稿: 玉村の源さん | 2018年10月20日 (土) 23時19分