大伴家持文学賞
今日は早稲田大学で開催された某学会の委員会に出席しました。
冒頭の会長挨拶で、今日は旧暦の8月27日。明日28日は大伴家持の命日である旨のお話しがありました。
富山県では、家持生誕1300年を記念して、「大伴家持文学賞」と「高志の国詩歌賞」という賞を新しく制定したそうです。「大伴家持文学賞」の趣旨は、世界の優れた詩人を顕彰することで、実際に第1回の受賞者には北アイルランドのマイケル・ロングリー氏(78)が選ばれたそうです。国際的な賞ですね。
会長挨拶がこういう話から始まるというのは、なんとも国語国文学系らしい学会であるなぁと感じました。すてきです。

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そうでした、そうでした。今日は家持の命日でしたね。
あくまで印象に過ぎないんですが、任地であった多賀城で亡くなったと考えているんですが・・・どうなんでしょうね。
政治的にはあんまり上手じゃあなかったような印象が強く、自分は都にいて・・・なんてことはしなかったと思うんですよね。お父さんもちゃんと大宰府に行っていましたしね。
投稿: 三友亭主人 | 2018年10月 7日 (日) 08時19分
三友亭主人さん
そうですね。
今、続日本紀で晩年の官歴を見てみましたら、
延暦元年(782)六月戊辰。春宮大夫従三位大伴宿祢家持為兼陸奥按察使鎮守将軍。
延暦三年(784)二月己丑。従三位大伴宿祢家持為持節征東将軍。
延暦四年(785)四月辛未。中納言従三位兼春宮大夫陸奥按察使鎮守将軍大伴宿祢家持等言。
延暦四年(785)八月庚寅。中納言従三位大伴宿祢家持死。
春宮大夫が都にいなくてもいいのかという気はしますが、それは次官が代行できましょうね。それよりも節刀を賜わった持節征東将軍(延暦3年条)が都にいるわけにはゆかないと思います。同じく節刀を賜わる遣唐大使もそうですよね。ただ、延暦4年には持節征東将軍ではなく鎮守将軍とありますね。どうなんでしょうね。
陸奥按察使としては、やはり任地にいないとまずいように思います。
投稿: 玉村の源さん | 2018年10月 7日 (日) 09時58分