奈良の「かまや喜八」
昨日、6月に書いた「明治30年前後の奈良市鳥瞰図」という記事に「いがらし」さんからコメントを頂きました。
木曜日に「いがらし」さんが入手された大正15年発行の「奈良史蹟案内」が、奈良のいろは旅館(別館かまや旅館)が発行したものであったことから、この旅館に関心をもたれ、探していらっしゃるうちに、当ブログにお越しくださったとのことでした。
あの記事に載せた画像の1つに、猿沢池の畔に魚佐と並んで鎌屋が載っています。
思いがけないことで、大変に嬉しく存じました。
そこで、幾つか入手済みの道中記を見ていったところ、1つにこの宿が見つかりました。
明治32年の『真誠講社』です。
残念ながら宿の所在を示す地図は載っていませんが、確かに「かまや喜八」の文字がありました。所在地も「ならいまみかど(奈良今御門)町」とあって、一致します。
複数の資料を突き合わせると面白さが増します。(^_^)
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こんばんは、先日書き込ませていただいた「いがらし」です。
かまやさんの新しい情報…!ありがとうございます!
あの後「魚佐旅館」さんの明治時代の引札をネットで見つけました、
「猿沢池南に二けん目」と書かれていたので、俯瞰図と一致していました。1軒目は「かまや」ですね。
その後に、昭和30年代に撮られたという、猿沢池側から旅館を写した写真を見つけたのですが、1軒目に「魚佐旅館別館」と看板が下がっていました。昭和30年までに、かまや旅館は廃業して、後を魚佐旅館が継いだのかもしれません。
複数の資料が繋がると本当に楽しいです(^^)
かまや喜八さんは、どんな人だったのだろう?と、想像して楽しんでます。
投稿: いがらし | 2018年10月 1日 (月) 18時08分
いがらしさん
こんばんは。コメントをありがとうございます。
また新情報ですね。貴重なものを入手されたのですね。
1軒目が魚佐旅館「別館」というのがおもしろいですね。本来の2軒目が本館で、旧かまやを買収した(かどうかは分かりませんが)建物が別館なのでしょうね。
確かに、今の(正確には数年前のですが)地図を見ると、魚佐旅館の場所は猿沢池の南西端のように思えますので、これが2軒目ならば、かまやさんの場所はどこに? と実は疑問でした。おかげ様で、疑問が氷解しました。
ほんと、複数の資料が繋がると嬉しいです。(^_^)
投稿: 玉村の源さん | 2018年10月 1日 (月) 20時09分