やはり気になる「百重なす」
昨日、前期最後の授業のあと、夜は高崎市内で集まり(会議のような研究会のような)がありました。東京に帰ると遅くなるし、渋川の家はまた炎熱地獄かと思い、高崎駅近くのホテルに泊まってしまいました。贅沢なことです。(^_^;
今日は全く予定はなく、東京に帰るだけですので、その前に渋川の家に行ってきました。といっても、渋川は完全に反対方向ですので、渋川の家に寄ると2時間余計にかかります。正味の移動時間とは別に、電車の本数の少なさがネックです。それで、渋川の家から足が遠のきます。(^_^;
前回、咲きかけだった浜木綿、咲いていました。
背後の、立ち枯れ掛けている草が邪魔ですね。撮るときの注意が足りませんでした。咲いているもの、咲き終わったもの、これから咲くものが混在しています。一気に咲けばもっときれいなのでしょうけどね。
今回もたっぷり水やりをしました。
花を上から撮影。
葉を上から撮影。
「百重なす」は花の形容とも、葉の形容とも取れそうに思えます。
もう一説、茎の中身説を考えるには茎を解剖したいところですが、そんなことをしたら実が成らなくなるので、踏み切れませんでした。研究よりも趣味の園芸を優先させてしまいました。(^_^;
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前に一度申し上げたようにわが母校の国文の研究室の前には幾本ものハマユウが植えてありました。
そしてそれを見るたびに、この歌の「百重なす」の一語を思い出し、なるほどこの葉のように・・・・と考えていました。
ところが・・・最近この百重なすは岸辺に打ち寄せる波の様子を表現したものだという説があることを知って、へえ・・・そんなふうに考える人もいるんだなんて感心をしました。そういえば、「泊瀬女の造)る木綿花み吉野の滝)の水沫(みなわ)に咲きにけらずや 巻六(九一二)」なんて歌もあるぐらいですから、海の波をハマユウっていてもいいのかなと思ってみたり、いやいや、それは読みすぎだなんても思ってみたり
・・・むずかしいなあ・・・
投稿: 三友亭主人 | 2018年7月26日 (木) 22時43分
三友亭主人さん
コメントをありがとうございます。
なるほどと思いました。
私は、この1鉢の浜木綿を見て、花かな、葉かな、などと考えていましたが、柿本人麻呂がうたった浜木綿は、海岸に群生している浜木綿ですよね。そういう光景から考えなければなりませんね。
海岸に打ち寄せる波説は知りませんでした。あまり論文を読んでおらず、お恥ずかしい限りです。(^_^;
群生している浜木綿で考えると、緑の葉が海、白い花が波頭、ということになりましょうか? 良いかもしれないと思いかけましたが、でも、歌の中に波はよみ込まれていませんよね。
それに、意味は、
熊野の海岸に自生している浜木綿のように岸に打ち寄せてくる波のように、幾重にも幾重にも心には思っているけれども……
となり、比喩が二重になってしまっていて、そんなに複雑な比喩を持ってくる必要があるのか、とも思います。それに、やはり歌中に「波」という語がないので、こういう比喩と理解して良いかどうか疑問が残ります。
その論文を読まずにこんなことを言っていても始まらないのですけど。
投稿: 玉村の源さん | 2018年7月27日 (金) 00時28分