« 熱中症回避&浜木綿 | トップページ | 「王朝文学の楽しみ方」聴講 »

2018年7月19日 (木)

明治37年の神戸市地図

 先月、「明治30年前後の奈良市鳥瞰図」という記事を載せました。
Narachokan01
 表紙には英語しか書かれていません。出版者は大阪のカワカミさんで、神戸のコーベ・ヘラルドが総代理店です。外国人を主な対象者にした地図なのでしょう。コーベ・ヘラルドの所在地は 76-a Kio Machi,Kobe とあります。現在の神戸市中央区京町のことと思われます。そうだすると、ここは旧外国人居留地であり、コーベ・ヘラルドの所在地として納得できます。

 ここまでで一応満足だったのですが、できれば当時の神戸市の地図で確認してみたいものと思っていました。

 よくしたもので、そういう気持ちでいたら、幸いに明治37年の神戸市の地図が手に入りました。
M37kobe01
 奥付は以下の通りです。
M37kobe02
 この地図、色分けされています。色分けは次のような「部」ごとになされています。
M37kobe03
 葺合部、神戸部、湊東部、湊西部、湊部、林田部の6つです。「部」という単位は初めて見ました。後の「区」に当たるような行政単位でしょうか? それとも、単なる地域区分でしょうか?

 上の表に依れば、「神戸部」の1行目に、海岸通、前町……の下の方に京町があります。

 地図の該当箇所は以下の通りです。
M37kobe04
 道路の上に町名が書いてあります。南北の道が、東から、東町、伊藤町、江戸町、京町、浪花町、播磨町、明石町とあり、東西の道が、北から、北町、仲町、前町、海岸通とあります。

  なお、地図の左下にメリケン波止場があります。「米利堅波止場」という表記の傍らに「AMERICAN HATOBA」とあります。波止場が英語ではなくて「HATOBA」ですね。もう「メリケン波止場」という語が固有名詞として定着していたのでしょうかね。

 いや、もしかしたら「波止場」って本来は英語で、それに漢字を当てたのかと思って日国を引いてみましたが、そういうことはないようでした。(^_^)

 ご参考までに、現代の地図です。南の方はカットしました。
M37kobe05
 文字が小さくなってしまいましたが、今も、京町、江戸町、浪花町、播磨町、伊藤町などの町名はそのまま残っています。明治の地図で東にある園遊地も、現在、東遊園地公園となっています。

 明治の地図には、ところどころに四角で囲った中に漢数字の入っているところがあります。何番がどんな施設なのかは別に掲げられています。
M37kobe06
 この一覧表には町名も記載されています。これを見ると、東西の道に従うもの、南北の道に従うもの、両様あって、法則性が読み取れませんでした。

 京町は五番の「印度オーストリヤ支那銀行」のみでした。現代の地図では、この位置は日本銀行になっています。コーベ・ヘラルドもこのあたりにあったのでしょう。

 神戸の古い地図を見るのは初めてでしたので、あれこれ興味深く、楽しく見ました。(^_^)

« 熱中症回避&浜木綿 | トップページ | 「王朝文学の楽しみ方」聴講 »

地図・航空写真」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 明治37年の神戸市地図:

« 熱中症回避&浜木綿 | トップページ | 「王朝文学の楽しみ方」聴講 »

2025年1月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ

ウェブページ