« 浜木綿を発掘調査 | トップページ | 書店不況 »

2018年7月 9日 (月)

天理の芳月の位置、判明

 学部の4年生の夏に泊まった天理市内の旅館「芳月」のことを何度か書きました。当ブログをご覧くださっている皆さまにはどうでも良い話と思います。済みません。(^_^;

 4年前に萬葉学会で天理に行った時に、懐かしの芳月に行ってみようと思ったのに、場所が分からなくなってしまい、何とかその場所を知りたいものと思っていました。詳細は繰り返しません。「天理をふらふら」「天理今昔」をご参照くだされば幸いです。

 昭和50年の夏、天理駅から東へ行って、南に下り、さる交差点の北西角にあった旅館を予約していたつもりが、何か手違いがあったようで予約されておらず、しかも満室で困っていたところ、その宿で芳月を紹介してくれたのでした。芳月の場所は、その交差点から少し東に行ったところで、その道の北に面していました。

 その「さる交差点」が川原城の交差点なのか、もう1つ南の交差点なのかが判然としません。どちらなのかが分かれば、芳月の位置もおおよそ分かります。

 そこで止まっていたのですが、昨日、家でたまたまこんな本を見つけました。昭和49年の刊行です。
Bluenara01
 改めてページをめくってみると、この本、詳しくて分かり易く、今でも十分に使えそうです。飛鳥や奈良に行くときはこの本をよく持っていったものでした。

 この本の後ろに宿泊施設の一覧が載っています。天理の部分を見たら、こうなっていました。
Bluenara02
 きらく荘の電話番号が私の字で訂正されています。全く記憶にありませんが、これたぶん、私がきらく荘に電話したのでしょうね。そうしたら、この本の電話番号が間違っていたか、あるいは電話番号が変わっていたかして、きらく荘には掛からなかったのでしょう。掛けた先の人がきらく荘の正しい番号を教えてくれたか、あるいは自分で電話番号案内に電話して教えて貰ったのだと思います。その正しい番号をわざわざ書き加えているということは、私が最初に泊まろうとしたのはこのきらく荘なのでしょう。芳月の名前はちゃんと憶えていても、泊まらなかった宿の名前は全く記憶にありませんでした。

 きらく荘の住所も書いてありますね。「天理市川原城355」とあります。これがどこなのか。今はもう住居表示が変わってしまったかもしれません。

 やはり昔の地図が要るかなぁと思いつつ、今の地図を見てみました。
Tenri_kawarajo
 住居表示、昔から変わっていなかったようです。川原城の交差点の北西角の番地、まさに「355」とあります!!

 私が最初に泊まろうとした宿はここだったのでした。とすれば、芳月の場所はここから東へ行ったところということになります。

 はずみのような感じで疑問が氷解しました。いやぁ、すっきりしました。

 思えば、この本の刊行が昭和49年、天理に行ったのが昭和50年ですから、この本、たぶん天理に行くために買ったのでしょう。

 それから40年以上も経ちました。

« 浜木綿を発掘調査 | トップページ | 書店不況 »

飛鳥・奈良」カテゴリの記事

コメント

いやあ・・・源さんの執念には・・・いやいや、研究者魂の強靭さには恐れ入ります。
昭和49年といえば私が中学生の頃。大学生として天理の町をふらつくようになったのは54年からですから、ほんのわずかなズレがあるだけ。「きらく荘」のある位置河原城355というのはかつて服部という洋食屋さんのあった場所、今は季(とき)というなのレストランアがありますねえ・・・
ここから東・・・・というと、天理教関係の建築物が多く、それ以外の建物はちょいと思い出せませんね~。

三友亭主人さん

 ひょんな事から謎が解けました。(^_^) とてもスッキリした気分です。♪

 この執念は研究者に向いているかもしれません。(^_^)

 萬葉学会で天理に行ったときに、芳月とおぼしき場所から天理図書館まで歩いてみれば真偽が分かるかもしれないと思って歩いてみたのに、かえって混乱しました。その理由は、以前は別の場所にあった天理参考館が今の場所に移ってきたことと、以前は天理図書館のすぐ北にあった野球場が別の場所に移転してしまっていたこととが大きな原因であったことが後から分かりました。

 そして、芳月のあった場所には、新しく道ができてしまったように思います。上の地図で、天理市役所の東沿いを南北に通っている道は、以前はなかったのですよね。

 川原城交差点の北西の地は、洋食屋さんからレストランに変わったのでしたか。旅館だったのは洋食屋さんのさらに前なのですね。

 それでは分からなくなるわけです。(^_^;

こんちには
芳月探訪シリーズ、興味深く読ませていただきました。
私は天理高校出身なのですが、新しい道は在校当時の80年代後半にはすでにありました。
天理駅までの帰りに通っていました。
去年も天理に行ったのですが、
新しい道と川原城交差点から東へ向かう親里大路の交差点付近の風景はあまり変わってないように思います。
ただし、国土地理院の昔の航空写真と今の写真を比べると、周辺には今はない建物も見られますので、
一度Googleのストリートビューで確認されてはいかがでしょう。
あと、きらく荘は今も同じ場所で営業されていると思います。一階にレストラン併設、みたいな感じに見えました。

隆さん

 はじめまして。
 コメントをありがとうございます。
 また、芳月探訪シリーズをご覧いただきましてありがとうございます。

 芳月の場所探しにハマってしまいました。気になって。(^_^;

 南北に通る新しい道は80年代の後半には既にあったのですね。
 貴重なお知らせをありがとうございます。
 といいますのは、平成4年か5年に天理に行ったときは、芳月はもう廃業してはいたようでしたけど、建物自体は現存していました。
 ということは、芳月の場所は、新しい道の部分ではないことになりますね。
 新しい道の西か東に当たりましょう。

 ありがとうございました。

 きらく荘はまだ営業していましたか。これまたありがとうございました。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 天理の芳月の位置、判明:

« 浜木綿を発掘調査 | トップページ | 書店不況 »

2021年4月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
無料ブログはココログ

ウェブページ