奈良菊水楼の古写真
1ヶ月ほど前に「明治30年前後の奈良市鳥瞰図」という記事を載せました。この鳥瞰図に、春日大社の一の鳥居付近に菊水楼という旅館が載っていました。菊水楼は今も同じ場所にありますが、それまで全く関心を持ったことがありませんでした。それが、100年も前の鳥瞰図にすでに載っていることで、にわかに関心が湧いたのでした。
不思議なもので、関心を抱いたら、ネットオークションに菊水楼の絵はがきが出品されました。(^_^) 早速買ってしまいました。
その中に、菊水楼の前の道が写っているものがありました。
左奥に鳥居が写っています。道には鹿がいっぱい。(^_^)
この道は三条大路ですね。砂利道でしょうか。でもよく整備されているように見えます。うっすらとわだちの跡のようなものも見えます。
鳥居のアップ。
鹿のアップ。
明治30年頃の鳥瞰図では、鳥居や菊水楼は次のように描かれています。
この絵にも鹿がいますね。
この写真、いつ頃のものか知りたいところですが、年号は書いてありません。表紙に「電話長二五番」とあります。この「長」というのは何でしょうね。詳しい人ならば、これが手がかりになるかもしれません。
客室の写真もありました。
画面の右側に扇風機が写っていますね。
アップです。
扇風機の左側にあるのは電話機のようです。今と同様に、この電話でフロント(当時だと、帳場でしょうか)に電話を掛けられるのでしょうかね。脇息やたばこ盆もあります。
扇風機と電話機の型式も年代推定の手がかりになりそうですが、これも私には何の知識もなく、使えません。残念です。
【写真追加】
通りすがりのいなごさんから頂いたコメントを受けて、扇風機の拡大写真を追加しました。
扇風機と電話機の型式も年代推定の手がかりになりそうですが、これも私には何の知識もなく、使えません。残念です。
【写真追加】
通りすがりのいなごさんから頂いたコメントを受けて、扇風機の拡大写真を追加しました。
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電話長=電話帳じゃあないかと思いますが、かなり自信はありません。
菊水郎はあこがれのおみせですねえ 。私の丘陵ではとてもとてもって感じのお店です。
・・・が、数年前の職場の宴会の会場が、ここ「菊水楼」。おそらくは宴会パックでかなりの激安のコースを組んでいたのでしょうが(それでも私には十分に満足できるものでした)、それでもあの「菊水楼」だと大喜びでした。
投稿: 三友亭主人 | 2018年7月 5日 (木) 22時11分
三友亭主人さん
コメントをありがとうございます。
なるほど。「長」は「帳」の誤植説ですね。今なら「電話番号」と言うところを、当時は「電話帳番号」とも言っていた、などということがあれば、有力かもしれませんね。
菊水楼はあこがれのお店なのですね。100年もの歴史を持つ老舗旅館ともなると、格式が高いのでしょうね。
三条大路の古い写真が入手できて幸いでした。今度は登大路の古い写真を入手したいものと思いおります。(^_^)
投稿: 玉村の源さん | 2018年7月 5日 (木) 22時20分
私感ではありますが、
「確実に!」と言われてしまえばあまり自信がありませんが、部屋の写真の扇風機からして恐らく古くて大正10年代~新しくても昭和10年頃の写真ではないかと思います。
この写真の扇風機は白黒写真でわかりづらいですが、多分 芝浦製作所製(今の東芝の全身)ではないか?と思います。
投稿: 通りすがりのいなご | 2020年1月25日 (土) 22時16分
通りすがりのいなごさん
はじめまして。
ブログを見てくださってありがとうございます。
また、写真の時期に関するご教示、ありがとうございます。
やはり電話機が手がかりになりそうですね。
型式のことなどさっぱり分からない私には貴重なご教示です。
どうもありがとうございます。
御礼申し上げます。
投稿: 玉村の源さん | 2020年1月25日 (土) 22時28分
玉村の源様、
対したことが言えませんでしたがご丁寧にありがとうございます。
何故扇風機で推理したかと言いますと過去にわたくしが芝浦製作所製の扇風機の修理を手掛けたことがありました。
(わたしが修理した芝浦の扇風機は大正13年製でした)修理に伴い情報をネックレスで調べました。どのネットだかは忘れてしまいましたが、確か大正10年から芝浦で扇風機の製造を開始(金属製の4枚羽根のタイプ)芝浦の名義で戦前まで製造 戦時中は製造していなかったみたいで戦後からは(昭和20年以降)東芝名義だったとネットの情報を見ました。扇風機の網の真ん中のマークに注目してみてください。わたくしの目に狂いがなければですが「SEW」とあるのがわかりますでしょうか?SEWは芝浦製作所のマークです。
これもわたくしの憶測ですが、
当時の最先端の写真を撮って客引したと思われますので この電話機もそうだと思いますが(電話機に詳しくなくてすみません)扇風機も当時最新式だったと思われます。
なので大正10年頃から昭和10年頃にかけてのものではないかと推理しました。
奈良県の猿沢池付近や東大寺付近、奈良公園付近は母によく連れて行ってもらい わたくしにとって思い出深い場所です。見ていたら面白くて玉村の源様のブログを見いってしまいました。
これが玉村の源様の情報にお役に立てば光栄に思います。
投稿: 通りすがりのいなご | 2020年1月26日 (日) 22時40分
通りすがりのいなごさん
ご丁寧なコメントを頂き、ありがとうございます。
扇風機の年代推定についてのご説明をありがとうございます。
なるほどと存じます。扇風機の拡大写真を1枚追加しました。
大正13年製の扇風機の修理は、なかなか大変だったのではないでしょうか。100年も経つ年代物ですよね。
「当時の最先端の写真を撮って客引したと思われます」というご指摘、それは全く考えませんでしたが、言われてみれば確かにそうですね。これまたよく納得できます。
奈良のあれこれ、懐かしく思って頂ければ嬉しゅうございます。「飛鳥・奈良」カテゴリーで、あれこれアップしていますので、あちこちご覧くださいませ。
ありがとうございます。
投稿: 玉村の源さん | 2020年1月26日 (日) 23時00分
出張で数日間留守していましたことと 仕事の都合で返答が遅くなりまして大変申し訳ございませんでした。
扇風機の写真のアップ確認しました。
間違えがなく芝浦製の扇風機ですね、
扇風機の保護網(俗に言う扇風機の網)の真ん中をよく見てください。筆記体みたいな書体でSEWと書かれているのがわかるでしょうか?これは、シバウラ エレクトリック ワークスの略で繰り返す様ですが今の東芝の前身です。今でこそ家電品は東芝の名義ですが戦前では扇風機以外に冷蔵庫や洗濯機や掃除機 換気扇等も芝浦名義だったみたいです。さて扇風機の話に戻りますが、昭和の時代に入ってからの芝浦の扇風機は一見この写真の扇風機と同じ様な形でも安全面を考慮し保護網が細かくなり睡蓮という商品名がついていたみたいです。(デザイン面も重視して前後の保護網が合わさった形が睡蓮の花びらに似ていたからだそうです。当時で言うハイカラっていうところでしょうか?)しかしこの写真の扇風機は以前にわたくしが修理にたずさわったものと全く一緒で保護網が荒い大正時代の芝浦製の扇風機に間違えないとみました。大正時代に製造されたものと昭和の時代に入ってから製造された芝浦製の扇風機でも一見同じ様な形でも似て似付かない訳です。(特に保護網の形状です)扇風機は大正の時代のものだということが大体わかりましたが、もしかしたらこの写真は大正末期か昭和の初期(まだ昭和が一桁の時代)かもわからないですね、もし時間がありましたら「芝浦扇風機」とか「戦前東芝扇風機」等とネットで検索してみてください。その保護網の違いがわかるかと思います。今のところわたくしがわかる範囲はこの辺ではありますが、また宜しくお願い致します。
投稿: 通りすがりのいなご | 2020年2月11日 (火) 20時34分
通りすがりのいなごさん
追加の写真を見ていただき、またコメントを頂き、ありがとうございました。
見どころのポイントがあるのですね。
ご説明、よく納得できます。
どうもありがとうございます。
投稿: 玉村の源さん | 2020年2月11日 (火) 21時49分