大正15年の修学旅行地図
4月2日に「明治40年の修学旅行地図」という記事を載せました。
これは文字通りの地図で、範囲は長野県東部から群馬県西部にかけてのものでした。
今回入手したのは、名古屋市地理歴史研究会が編集したもので、範囲は伊勢・奈良・京都・大阪・名古屋となっています。こちらは大正13年10月印刷発行、大正15年10月改正三版です。
どちらも名称は「修学旅行地図」。明治大正の頃(あるいはそれ以降も)、修学旅行用の地図がよく作られたのでしょうかね。
表裏印刷で、オモテはこのようになっています。裏面には名所旧蹟の解説文が載っています。
広域範囲の地図がカラーで示され、周囲には、左上から反時計回りに、「奈良市地図」「京都市及伏見地図」「名古屋市地図」「大阪市地図」「外宮々域図」「内宮々域図」「宇治山田二見鳥羽地方図」が載っています。
カラー地図の京都付近。
今はなき巨椋池が描かれています。画面左下には「桜井」という地名があります。楠公父子別れの桜井駅でしょうね。
奈良付近。
このあたりの部分、ここが南限です。もう少し南まで下げれば、飛鳥寺や橘寺が収まるのにと思います。
鈴鹿付近。
中央付近に能褒野があります。倭建命終焉の地ということでこの地名を載せたのでしょうね。
岡崎・豊橋間。
左上に岡崎駅が2つあります。北の方の岡崎駅から右下の豊橋駅にかけて線路が描かれていますが、途中の駅名が手書きです。といっても、この地図に手書きで加えたわけではなく、改訂に際して印刷会社で手書き文字を加えたもののようです。
この路線は、名鉄名古屋本線として現存しています。岡崎の駅名は現在は東岡崎になっていますが。
この手書き部分に興味をおぼえて、ウィキペディアで「名鉄名古屋本線」を見てみました。すると、その歴史を記述した部分に次のような記述がありました。
1927年(昭和2年)
6月1日:この日までに伊奈駅開業[3][注釈 5]。豊橋線 伊奈駅 - 吉田駅(現在の豊橋)間が開業。
[注釈5]は以下の通りです。
^
鉄道省編『鉄道停車場一覧』(昭和12年10月1日現在、国立国会図書館デジタルコレクション)では9月1日開業とされているが、『官報』(1927年6月11日、同上)には6月1日の伊奈
- 吉田間営業開始の項目にて「伊奈(既設驛)」と記され、開業時点で既に存在したことになっている。
この官報を根拠として、ウィキペディアでは、伊奈駅の開業時期を1927年(昭和2年)6月1日以前としているわけです。
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豊橋-岡崎間の地図もUPしてくださり,ありがとうございます。
豊川鉄道(現JR飯田線)・愛知電鉄(現名古屋鉄道)の頃は,吉田駅だったということは知っていました。
でも,伊奈駅のことはよくわかりませんでした。
昭和2年6月に愛知電鉄が吉田駅に乗り入れているのですね。
愛知電鉄が吉田駅に乗り入れる前は,伊奈-小坂井の小坂井支線があったということも初めて知りました。
ますます興味深くなってきました。
投稿: 萩さん | 2018年6月21日 (木) 16時07分
萩さん
コメントをありがとうございます。
ウィキペディアによれば、省線と豊川鉄道が豊橋駅を共用していたのが、豊川鉄道は明治32年に北側に吉田駅を開設したとのことですね。
この修学旅行地図の頃には、豊橋駅のすぐ北に吉田駅があったはずですけど、地図には吉田という駅名は全く載っていません。実質的に豊橋駅と同じ場所とみなされ、駅名は省略されてしまったのでしょうかね。
このあたりのことがナゾとして残ります。
とにもかくにも同時代資料は楽しいです。(^_^)
投稿: 玉村の源さん | 2018年6月21日 (木) 16時56分