平岡敏夫先生 お別れの会
今日は、去る3月5日に88歳で逝去された平岡敏夫先生のお別れの会がありました。
会場は文京区大塚の茗渓会館です。平岡先生は東京教育大学大学院ご出身で、筑波大学に勤めていらっしゃいましたので、そのゆかりでこの会場が選ばれたものと思います。
先生のご専門は日本近代文学。筑波大学教授の後、平成4年(1992)から平成10年(1998)までの6年間、群馬県立女子大学の学長をお務めくださいました。
阿毛久芳先生の開式の辞。
陶原葵氏による平岡先生の詩の朗読。
渡邉正彦先生の挨拶。
北原保雄先生の挨拶。
小内一明先生の献杯の辞。
会の後半、スクリーンに平岡先生の写真が投影されました。その中に、平岡先生の故郷である瀬戸内海の塩飽諸島の写真もありました。
平岡先生は故郷にお墓を建立され、そこに眠っていらっしゃいます。
奥様のご挨拶。
参列者に渡された手提げ袋の中には最後の御著書が入っていました。
このタイトルは死期を悟られてのものだったのでしょうか。入院される日に校正刷りが届き、それを手に入院されながら、実際に校正をされる気力は残っていらっしゃらなかったとのことで、校正はお孫さんがなさったそうです。今日の会に間に合うように刊行されたとのことでした。
また、3月に発行された『群馬県立女子大学 国文学研究』第38号の抜き刷りも同封されていました。
先生のご逝去は3月5日ですが、先生はいつもかなり早く原稿をお寄せくださっていましたので、このお原稿もたぶん年内に届いていたのではないかと思います。87歳で執筆された御論文ですね。なんともすごいことで、圧倒される思いです。
思えばこの号には石川泰水先生の遺稿も掲載されているのでした。
もう1つ、お酒も。
筑波大学のお酒でした。ほんと、大学ブランドのお酒、はやっていますね。
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