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2018年5月28日 (月)

明治31年の定宿帳

 明治31年の定宿帳を入手しました。
M31issinko01
 これ、以前ご紹介した明治18年の定宿帳とよく似ています。

 明治18年の最初のページ。
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 今回の明治31年の最初のページ。
M31issinko02
 どちらも、伊勢神宮がスタートですが、その前に豊橋の壺屋庄六があります。豊橋から船に乗って、海路伊勢に向かいます。両者、内容は同じですが、文字が違いますので、同版ではありません。同様の内容を新たに彫ったのですね。

 奈良のページは全く異なります。

 明治18年の。
M18isshin04
 明治31年の。
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 明治18年のは魚屋佐兵衛が指定されています。後年の魚佐旅館ですね。地図も魚屋佐兵衛の旅館が示されています。

 明治31年のは「いんばんや庄右衛門」が指定旅館です。地図もいんばんやが案内されています。

 現代の(というか、少し前の)地図です。
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 定宿帳の地図は、明治18年のも31年のも東が上です。現代のは北が上なので、90度回転させて見ないとなりません。魚佐旅館は猿沢池の南にあります。いんばんや庄右衛門は、定宿帳には「なんゑん堂の下たるい丁さる沢いけのまへかど」とあります。今の天平ホテルの位置に当たりそうです。

 ググってみましたら、上方落語「東の旅」に、奈良の旅籠として、印判屋庄右衛門の名が小刀屋善助と並んで登場していました。有名な旅籠だったようです。

 定宿帳のいんばんや庄右衛門の所には、「いんばんや」という朱印が捺してありますね。表紙にも同じ印があります。表紙にはもう1つ、「大鶴」という朱印が捺してあります。

 探してみたら、法隆寺の宿に「大こくや鶴松」というのが見つかりました。
M31issinko04
 ここに「大鶴」の印が見えます。「大こくや鶴松」をつづめて「大鶴」ですね。

 これもググってみたら、法隆寺夢殿前に大黒屋という旅館のあったことが分かりました。「斑鳩の記憶データベース」に「廃屋の大黒屋」というページがあり、写真も載っていました。

 それによれば、高浜虚子が『斑鳩物語』を執筆した旅館として有名だそうです。鴟尾をのせた木造3階建ての旅館で、明治10年頃に建設されたということです。

 現在も同様の位置に同名の旅館がありますが、関係は分かりません。

 いろいろと分かって楽しいです。

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コメント

旧大黒屋は立派な建物ですねえ。
もし、源さんのお示しくださった現在の大黒屋さん(おしゃるように関係の有無はわかりませんが)とは比較にならぬ豪勢さ・・・

そういえば、魚佐旅館もなくなっちゃいましたしねえ・・・時の流れというものは・・・


そうそう、今度橿原市の八木に新しいホテルが出来ましたし、桜井にもルートインが出来る予定・・・です。

三友亭主人さん

 コメントをありがとうございます。
 ほんと、旧大黒屋さんは豪壮ですよね。屋根に鴟尾まで載せて。

 大黒屋さんはこんな廃屋になってしまいましたし、魚佐旅館も廃業。それでも、「明治は遠く」などと言いながら、江戸明治あたりまでは結構遡れるものですね。

 八木に新しいホテルができ、桜井にもできるのですか。それはありがたいです。今までが少なすぎましたよね。せっかく奈良飛鳥に人が来ても、京都や大阪に宿泊というのでは、何とも勿体ないことです。

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