明治18年の定宿帳(奈良・魚佐旅館)
昨日の定宿帳の続きです。
伊勢のあとは榛原や長谷を経由して奈良に至ります。
それぞれの宿場には1軒ずつ宿の紹介があります。「入口より四丁目つきあたり」「くわんをんまへ角」「入口より四丁目出口」などという簡単な道順の説明も書いてあります。
そして奈良。上のページとは異なり、1ページ丸ごと奈良です。
ページの左側には山形に「ウ」のマークと「うをや佐兵衛」の文字。その下には印が捺してあり、印面は、中央に「山ウ」のマーク、周囲には「和州奈良魚屋佐平」とあります。この印面は表紙の右下の朱印と同じです。
この宿屋の所在地の説明も、「さる沢いけのまへ今みかど町 いけより角二けんめ」と詳細です。絵図も詳細ですね。画面右側に「今みかど丁」とあるすぐ下がこの旅館です。「山ウ」のマークが描かれています。猿沢池の前の川に架かる橋を渡った先です。
説明文とこの絵図があれば迷わずに行き着けることでしょう。破格の扱いです。表紙に「同盟周旋方」とあるように、この道中記はこの宿屋が製作したものなのでしょうね。
絵図の上方に三笠山などが描かれていますので、方角は上が東。この旅館の位置は猿沢池の南に位置します。今のどの辺だろうと思って、パソコン内の電子地図を見てみました。
猿沢池の南に魚佐旅館があります。池の前の橋を渡った先です。「あっ!」です。この旅館の名前は今までも奈良の地図を見る度に目に入ってはいました。「魚屋佐兵衛」と「魚佐旅館」、場所もバッチリ。この旅館が後身なのでしょう。わくわくします。(^_^)
ただ残念ながら、ググってみましたら、この旅館は2013年の1月に閉館して取り壊され、今は結婚式場が建っているとのことです。私の電子地図はやや古いので、この旅館が載っていました。
古地図が大切なだけでなく、古電子地図も大切かもしれません。
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「はい原あぶらや」ってのがありますね。
先日私のブログに書いた宣長ゆかりの宿ですねえ・・・
「はせ」の「よしのや」は探してみましたがちょいと見つかりませんでした。
書いてある位置からしたら、ひょっとしたら、名を変えて土産物屋か食堂になっているのかもしれません。
投稿: 三友亭主人 | 2018年3月 8日 (木) 20時33分
三友亭主人さん
あ! です。
確かに、三友亭主人さんのブログに登場していましたねぇ。思わぬところで繋がりました。繋がるとわくわくします。(^_^)
位置が「くわんをんまへ角」となれば、一等地ですね。仰るとおり、土産物店か食堂になっている可能性が高そうですね。
投稿: 玉村の源さん | 2018年3月 8日 (木) 20時43分