明治18年の定宿帳(飛鳥)
一昨日からご紹介している資料について、もう1回。(^_^)
奈良から先へページを繰って行くと、飛鳥方面が出てきます。
このページを見ると、高田から道が分かれるようです。上の方は、今井→神武天皇御陵→立花寺→岡寺と続きます。下の方は、小房→安倍→飛鳥と辿って、岡寺で合流します。
上のルートは、以前ご紹介した久米寺前の道しるべと重なりますね。
この道しるべには、「右 おかてらたち花」「左 じん武橿はら」とあります。まさに、この道しるべは神武天皇陵と橘寺との間に位置しています。
下の方のルートにある小房は、藤原宮の西に位置し、私はまだ寄ったことがないのですが、おふさ観音寺があります。この定宿帳にある小房は、直接にはこの観音寺を指しているのでしょう。
前にもご披露したように思いますが、戦前の地図にはこうあります。
畝傍駅と畝傍御陵前駅との間に、今はもう廃線になってしまった路線があり、そこに小房駅があります。こういうバイパスができるほどにおふさ観音寺は信仰を集めたお寺なのでしょうね。
あれこれ面白いです。
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一番左・・・「たかだ」でしょうか。今の大和高田市でしょうね。辻屋甚三郎さん、今大和高田では「ヴェルデ辻甚」という高級なフランス料理屋さん(一度だけお呼ばれで行ったことがあるのですが)がありますが、そこが代替わりするまでは「辻甚」という、やはり大和高田では著名な料理屋さんでした。
・・・たぶん、そこでしょうね。
投稿: 三友亭主人 | 2018年3月10日 (土) 07時37分
三友亭主人さん
貴重な情報をありがとうございます。
1番右端、「たかだ」ですよね。位置的にも大和高田市と思います。
きっとそのお店が後身ですね。
魚屋佐兵衛が魚佐、辻屋甚三郎が辻甚って、同じパターンですね。エノケンやキムタクと一緒。(^_^)
「明治は遠く」とか、最近は「昭和は遠く」とも言われていそうですけど、意外と「明治は近く」、ひょっとすると「江戸も近く」と言えそうな感じですね。あるいは、「今に生きる江戸明治」と言っても良いのかもしれません。
おもしろいですねぇ。
ますます道中記を買ってしまいそう。(^_^;
投稿: 玉村の源さん | 2018年3月10日 (土) 10時19分
ちなみに下の地図の
>畝傍駅と畝傍御陵前駅との間に、今はもう廃線になってしまった路線
うちの妻は幼稚園の頃まで、このあたりに住んでいたらしいんですが、聞いてみたら電車は走っていなかったけど、線路が何か所か残っていたといっていました。
・・・50年ほど前でしょうか・・・
投稿: 三友亭主人 | 2018年3月10日 (土) 12時29分
三友亭主人さん
奥様にとっては懐かしい場所だったのですね。
廃線になっても、線路を撤去するにはお金も掛かるし、ということで、そのままになっていたのでしょうかね。
投稿: 玉村の源さん | 2018年3月10日 (土) 22時44分