「奈良名所細見図」2
ネットオークションで「奈良名所細見図」を入手しました。
左側欄外の刊記に依れば、明治22年8月に、奈良町在住の河村音松が印刷発行したものです。
この絵図、以前何度かご紹介した、江戸時代刊の「ならめいしよゑづ」とよく似ています。
両者、絵図の範囲は全く同じですし、絵もよく似ていますが、「ゑづ」に比べると「細見図」は大分簡略になっています。
ただ、今回の「細見図」は明治22年の発行ということで、内容に時代差があります。
東大寺の西側、「ゑづ」は以下の通りです。
これに対し、同じ範囲が「細見図」では以下のようになっています。
「ゑづ」では塀の内側が丸ごと興福寺のようですが、「細見図」では、北の方に、奈良県(県庁)、郡役所、裁判所が並んでいます。お上に接収されてしまったのでしょうかね。また、「ゑづ」では立派な南大門の絵が描かれていますが、「細見図」では「ナンダイモンアト」になってしまっています。焼けたか壊れたかしたのでしょう。
今回の記事のタイトルは「奈良名所細見図」2としました。なぜ2なのかというと、昨年の9月3日に「奈良名所細見図」というタイトルの記事を載せてしまったからです。こういう絵図です。
こちらは、カラーで立体的な絵図になっています。明治23年1月に刊行されたもので、発行人は同じく河村音松です。同じ発行人が、同じ「奈良名所細見図」という名称の絵図を半年足らずの差で刊行したことになります。
紛らわしいことをしたと思いますが、あるいは河村音松は、「ゑづ」を簡略化しただけのような明治22年の細見図に飽き足らず、完全に面目を一新した新たな絵図を翌年発行し、旧細見図は絶版にしたとか、何かそういった事情があったのかもしれないと考えました。
その明治23年版の細見図では、県庁・裁判所のあたりはこう描かれています。
さて、現在、奈良市内を通る道路の中で、メインストリートは登大路でしょうね。この道の北に裁判所、県庁、東大寺などが並び、南には近鉄奈良駅、興福寺、奈良国立博物館などが並んでいます。ところが、今ここで見て来た3枚の絵図のいずれにも登大路は描かれていません。特に、「ゑづ」や旧「細見図」では全体が大きく塀で囲まれていますしね。
思えば、かつての二条大路は奈良女子大の南沿いの道、三条大路は猿沢池の北沿いの道のようですから、登大路は両大路の中間くらいに位置することになりましょうか。
登大路は、大阪万博の折なども含めて、段々に拡幅されて今に至っているようですね。
たまたま入手した1枚の絵図でしたが、3枚の絵図を比較することで、あれこれ見えてきました。地図は楽しい。(^_^)
« 羽生選手、すごいです | トップページ | 今日はレポート締切日 »
「飛鳥・奈良」カテゴリの記事
- 『奈良旅手帖』2025(2024.12.06)
- 『ならら』最新号の特集は「春日若宮おん祭」(2024.11.30)
- しかまろくんマグネット(2024.11.11)
- 奈良交通バスフィギュア(2024.11.04)
- 『ならら』最新号の特集は「紀伊山地の霊場と参詣道」(2024.10.30)
「史料・資料」カテゴリの記事
- 広瀬中佐の評価は(2024.11.24)
- 老農船津伝次平(2024.11.23)
- ちりめん本『俵藤太』と『稲羽の白兎』(2024.11.05)
- 明治20年ちりめん本の『俵藤太』(2024.11.03)
- 鳥居強右衛門(2024.10.18)
「地図・航空写真」カテゴリの記事
- 梶川敏夫氏『ビジュアル再現平安京』(吉川弘文館)(2024.11.13)
- 明治3年の『絵入智慧の環 二編上』(4)(2024.09.06)
- 大正14年の長野市地図(2024.08.30)
- 昭和12年頃の善光寺鳥瞰図(2024.08.29)
- 明治3年の『絵入智慧の環 二編上』(3)(2024.08.27)
コメント