「養蚕かるた」
このようなかるたを入手しました。長野県の上伊那のかるたです。
趣旨等を書いた解説書が入っていました。
その解説書には、読み札の文章、絵札の作者、読み札の揮毫者も紹介されています。お名前は消しました。
絵札を何枚かご紹介します。
対応する読み札は以下の通りです。
ぬ:ぬくもれる 母の手織りの 紬縞
か:蚕飼い この道一筋 三十年
れ:レンタンを 使った昔が 忍ばれる
う:うれしさを かくしきれない 繭出し日
ま:繭玉を つくって祝う 小正月
え:沿線に 桑畑つづく 中央道
さ:三代の 我が家の養蚕 百年目
み:見て学び 馴れて蚕飼いの おもしろさ
さて、このかるた、いつのでしょう?
奥付はありませんが、三枚目の画像に「56年度収繭量」という文字が見えます。これ、昭和56年度(1981年度)でしょうか、1956年度(昭和31年)でしょうか。
12月17日(日)にアップした「信濃かるた」が昭和53年か54年のものです。
それと比べると、この「養蚕かるた」はモノクロですし、絵札の服装などを見ても、かなり古色蒼然としています。「信濃かるた」よりも新しいとはとても思えません。
しかし、「養蚕かるた」の「え」の札には中央道が取り上げられています。「信濃かるた」によれば、中央道の開通は昭和56年です。昭和31年にはまだ影も形もないのではないでしょうか。
また、「か」の札に描かれているバスは現代のバスと同じような形をしています。昭和31年ならボンネット型と思います。
「さ」の札に養蚕百年とあります。昭和56年なら100年前は1881年で明治14年ですが、昭和31年の100年前となると1856年となってしまい幕末の安政3年ですね。養蚕自体は古くから行われてきた訳でしょうけど、ここで言っているのは近代養蚕のことでしょうから、安政3年というのは合わないように思います。
そういう次第で、ぱっと見ならば昭和31年の方が合っている気がしますが、仔細に検討すれば昭和56年とみるべきもののようです。
昭和56年って、ほんの少し前のような気がします。このかるた、あえて懐かしい情景というイメージで描いたのでしょうかね。
そう思って見ると、上に並べた「養蚕かるた」の絵札の中で、「さ」の札のおじいさんの着物の打合せは合っていますけど、「ぬ」の札、「ま」の札の女性はいずれも着物を左前に着ています。これは、絵札が描かれた時点では、日常的に着物を着ていた女性はほとんどいなくて、それで描いた人がうっかりしたのだと考えられるかもしれません。
絵札の中にネコを描いたものが何枚かありました。作者がネコ好きなのかとも思いましたが、あるいは、蚕をネズミから守るためにネコを飼っていたのかと思いました。
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養蚕カルタ、見せていただきまして、ありがとうございました。貴重なものですね。当時の生活が良くわかります。
リヤカー、練炭、機織り等々、消えてしまった諸々のものがカルタの中にあることに感激です。うっしー
投稿: うっし~ | 2017年12月21日 (木) 21時45分
うっし~さん
コメントをありがとうございます。
蚕を飼っていらっしゃるうっし~さんに見て頂いてありがたく存じます。
練炭については、「使った昔がしのばれる」とあって、すでに過去のこととして書かれていますが、昭和56年のものとすると、全体的に回顧を含んでいそうですね。リヤカーも懐かしいです。
ねこが何枚かに描かれていますけど、ねこは蚕をネズミから守るためかもしれませんね。
あれこれ興味深く思いました。
投稿: 玉村の源さん | 2017年12月21日 (木) 22時05分