戦前の『奈良市全図』
昨日に続き、また奈良の地図の話題です。
上部に右横書きで『奈良市全図』とあります。年号は全くなく、いつのものか不明です。
興福寺を中心とした部分。
上部中央に奈良県庁と裁判所が並んでいます。このへんは今も同じですね。登大路を挟んだ南側には県立図書館があります。これは今はもうこの場所にはありませんね。餅飯殿町など、町名は変わっていないようです。
1枚目の図にあるように、地図の上部にある「奈良市全図」という標題は右横書きですけど、地図の中の横書きの文字は左横書きですね。結構新しいのかもしれません。
地図の西端付近に大極殿跡があります。平城宮跡の発掘が進んでいない時代だと、ここまでの範囲は収めていないと思います。
年代推定の上限を考える上で参考となる部分。
図の右下に奈良女子高等師範学校があります。現在の奈良女子大学です。その左上に育英高等女学校があります。奈良育英高等女学校の設立は大正12年だそうで、現在、この地には奈良育英高校があります。
そのさらに左上には奈良中学があります。奈良県立奈良中学校の設立は大正13年だそうです。この中学校は現在は奈良県立奈良高等学校となって、この地図よりも北西に移転しています。
ということで、この地図は大正13年以降のものと推定できます。
下の図の左上隅、1字目の文字が折り目に当たっていて欠けてしまっていますが、近鉄線は「大軌電車線」とあります。
大軌(大阪電気軌道)という名称は明治43年の成立だそうですが、この会社は昭和16年3月に参宮急行電鉄との合併により、関西急行鉄道(関急)に改組されたとのことですので、この地図は昭和16年以前のものと推定できます。
以上から、この地図が発行された時期は、大正13年(1924)から昭和16年(1941)までの間の17年間のどこかと推定できます。私の力ではここまでです。見る人が見ればもっと絞り込めるかもしれません。
地図の北東部、奈良坂付近。
「国道第十五号」とあります。この道、現在は県道754号線になっているようです。明治18年に定められた国道表では、国道十五号は東京から仙台までの道です。そして、現在の国道十五号は、東京から横浜市神奈川区までの第一京浜だそうです。この国道番号も手がかりになりそうですけど、これ以上は進めませんでした。
« 奈良名所絵図(3) | トップページ | 等々力渓谷をゆく(1) »
「飛鳥・奈良」カテゴリの記事
- 愛用の「万葉巾着」(2025.02.02)
- 『ならら』最新号の特集は、修二会創始者の実忠和尚(2025.01.31)
- 飛鳥・藤原を世界遺産に推薦(2025.01.28)
- 鹿せんべいのキーホルダー(2024.12.30)
- 『大美和』148号(2024.12.30)
「地図・航空写真」カテゴリの記事
- 梶川敏夫氏『ビジュアル再現平安京』(吉川弘文館)(2024.11.13)
- 明治3年の『絵入智慧の環 二編上』(4)(2024.09.06)
- 大正14年の長野市地図(2024.08.30)
- 昭和12年頃の善光寺鳥瞰図(2024.08.29)
- 明治3年の『絵入智慧の環 二編上』(3)(2024.08.27)
コメント