木簡のレプリカ
木簡のレプリカを入手しました。入手先はまたネットオークションです。
長さは16cmほどです。
裏はこのようになっています。
上の方に捺してある朱印の印文は鮮明で「若博特別展」と読めますが、他に4つ捺してある朱印は、左下の文字が「寺」と読めそうなものはあるものの、全体的になかなか解読困難です。他に4299という黒字の数字があります。
「若博」の文字を手がかりにググってみましたら、次のようなポスターが見つかりました。
このポスターやその他の記事を参照すると、この木簡は、福井県立若狭歴史博物館が配布した「木簡パスポート」であることが分かりました。この木簡パスポートを、対象となる寺社や博物館等で提示すると、ポストカードが貰えたり、入館料の割引を受けられたりするようです。また、裏面は朱印帳代わりになります。
このイベントはもう終わってしまったようですけど、こういうのいいですね。紙のパスポートよりずっと楽しいです。長さ16cmならば嵩張りませんし、軽いし、くしゃくしゃにもなりません。
この木簡パスポートには、「遠敷郡遠敷郷小丹里」という地名が書いてあります。若狭歴史博物館の所在地のあたりがちょうど小丹里に当たるそうで、それもバッチリです。
「遠敷」は「おにゅう(をにふ)」と読みます。古くは「小丹生」と書いていたのですが、奈良時代の初め頃に、全国の郡里名は全て二字表記に統一されることになり、「小丹生」は「遠敷」と改められました。「遠(をに)/敷(ふ)」ですね。本来の語構成を無視した表記で、二字表記化の命令でもなければ思い付かないような表記でしょう。
朝廷の意向は二字表記に加えて、良い文字を使うようにということもありました。「敷く」には治める、統治するという意味もありますので、「遠敷」は遠い後の世までもこの土地が平和に統治されているように、という意味も重ね合わされているのではないでしょうか。
二字表記化の命令は和銅六年(713)の風土記撰進の詔の第一条がそれにあたるものと考えられてきましたが、「遠敷」と書いた和銅四年の木簡が見つかっているので、二字表記化の命令は実は和銅四年以前にさかのぼるのではないか、ということを論文に書いたことがあります。
そんなことがありましたので、遠敷木簡には思い入れがあり、それで今回このレプリカを入手したく思いました。
さてこの木簡パスポート、本物の木簡の忠実な複製なのか、あるいは全くの創作なのか調べてみました。
これに関しては、また面白いことが出てきたのですが、ちょっと資料で確認しなくてはなりません。明日、確認の上、改めてアップします。もしも明日、木簡以外の話題(たこ飯の駅弁とか(^_^;)がアップされたとしたら、資料確認の結果、ナゾが深まって書けなくなってしまったとお考えください。(^_^;
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>面白いことが出てきた
さてさてなんでしょうねえ~
楽しみですねえ。
木簡は楽しみですよねえ。
萬葉集や日本書紀・続日本紀といった文献ではうかがい知れない当時の人々の生活の一端を見せてくれますからねえ。私のように歴史の方から上代文学に入ったものにとっては、文字資料・言語資料として以上に、そんなところが楽しみではあります。
投稿: | 2017年3月26日 (日) 22時29分
コメントをありがとうございます。
ううむ。三友亭主人さんでしょうか?
私も、元々は史学科に行こうとしていた人間ですので、三つ子の魂百までで、やはり歴史が絡んでくるとわくわくします。
明日に持ち越しというのは決して勿体ぶっているのではなく、『日本古代木簡選』で確認しなくてはいけないことがあるからなのです。この本、東京の家には置いていないもので。
申し訳ありません。
投稿: 玉村の源さん | 2017年3月26日 (日) 22時42分
すみませんでした。わたしです。
投稿: 三友亭主人 | 2017年3月27日 (月) 05時41分