浅間シンポに行ってきました
今日は、先日ご紹介したように、勤務先で浅間山のシンポジウムがありました。タイトルは「浅間」ですが、内容は全て天明3年の浅間山の噴火でした。
通常の群馬学連続シンポジウムと異なり、会場は講堂ではなく一般教室です。
講演のトップは古澤勝幸氏(群馬県教育委員会埋蔵文化財主監)の「萩原進と浅間山天明噴火の研究」。
2番目は井上公夫氏(砂防フロンティア整備推進機構技師長)の「浅間山天明噴火による鎌原土石なだれと天明泥流」。
最後は中島直樹氏(玉村町教育委員会文化財係長)の「天明の噴火の泥流-玉村町の発掘調査から-」です。
浅間山の噴火については一応知っているつもりだったのですが、初めて聴くお話も多く、大変勉強になりました。
噴火の被害は多岐に亘り、主なものだけでも
1.火山弾・火山灰等による中山道や宿場等への交通・家屋・人的被害
2.火山灰による関東地方への農業被害
3.大規模な岩屑なだれによる鎌原村の壊滅的被害
4.岩屑なだれが吾妻川に入って泥流となり、吾妻川・利根川流域の村にもたらした被害
などです。
この泥流は東京の両国や千葉県の銚子にまで流れ下ったそうです。
利根川の流れは玉村も通っています。当時の目撃談に、利根川の増水が進み、泥水に溶岩と家・諸道具・馬が一緒くたになって流れ、その中から助けを求めて泣き叫ぶ人の声が聞こえた、というのがあるそうです。
沢山の方々が聴きに来てくださいました。
文系の学問は不要などと言われたくないですね。需要は大いにあります。いや、仮に需要が少なくたって必要な学問です。
大勢来てくださって、大変にありがたかったのですが、実は年齢層はかなり高齢者に偏っていました。うちの学生を初め、若い人たちにも来てほしかったです。ま、学年末の試験も終わり、学生さん達の中にはとっくに帰省してしまったり、アルバイトの稼ぎ時だったケースも多かったことでしょう。3月半ば過ぎはそういう時期ですよね。時期的に仕方ないところかもしれません。
私が毎年呼ばれて講演をしている前橋の「みくの会」の方がいらしていて、挨拶されたのは嬉しいことでした。地域貢献は公立大学にとって大事な責務と、改めて思いました。
群馬学センターに萩原進氏のご遺族から寄贈された多くの資料があります。その中に吾妻川・利根川の泥流を描いた図があるというので見せて貰いました。下はその一部です。
中村、やき原(八木原)、半田という地名が見えます。八木原は当ブログにも何度か登場している私の家の最寄り駅です。
八木原は「無難」とあり、被害はなかったようです。確かに八木原は利根川からやや離れていて、標高も少し高いです。
一方、半田は「半分土入」とあります。半田の方が利根川に近く、標高も低いので、被害が出たのでしょう。昭和30年代に利根川が氾濫して半田は水につかったと聞いたことがあります。
そういったことは、土地勘があるとよく理解できますね。
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