小山田古墳と命名
平成26年(2014)、奈良県立明日香養護学校の校舎建て替えに伴う発掘調査で、古墳らしきものが出土しましたね。当ブログでも、2015年1月16日に「舒明天皇陵? 蘇我蝦夷墓?」と題した記事をアップしました。
あの時は、古墳ではなく、居館や庭園などの可能性もありました。
それが、昨日今日のテレビや新聞による報道によれば、新たに発掘が進み、古墳であることが確定したようですね。
1辺約70メートルの方墳で、飛鳥時代で最大級の古墳とみられ、「小山田(こやまだ)古墳」と命名されたとのことです。
近畿で最大級の方墳は、用明天皇の陵墓とされる春日向山古墳(東西66メートル、南北60メートル)や、推古天皇陵とされる山田高塚古墳(東西66メートル、南北58メートル)だそうですが、1辺70メートルの小山田古墳の規模はこれらを上回ります。蘇我馬子の墓とされる石舞台古墳は1辺50メートルとのことです。
となると、被葬者はかなり限られましょう。舒明天皇か蘇我蝦夷のどちらかということになりそうです。
初めてこの記事を見たとき、蝦夷はヘンと思いました。蝦夷は大化改新のクーデターで誅殺されたわけですから、このような巨大な古墳が造られるはずはないと考えました。
でも、さらに記事を読むと、蝦夷・入鹿の墓は生前に造られたのですね。皇極紀元年是歳条に「預め双墓(ならびのはか)を今来(いまき)に造る。一つをば大陵(おほみさざき)と曰ふ。大臣の墓とす。一つをば小陵(こみさざき)と曰ふ。入鹿臣の墓とす。」とあります。
小山田古墳は短期間で破壊されたようですから、蝦夷の生前に造られていた墓が、大化改新のクーデターを受けて破壊されたと考えれば、辻褄は合いそうです。
さて、どうなのでしょうね。興味津々です。
画像がないと寂しいので、1枚貼っておきます。時代は合うのかなぁ。(^_^;
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位置からすると、蝦夷のものというのが妥当なようですね・・・
でも、舒明天皇のものであってほしいような気もするし、破壊された・・・という観点から言えば、舒明天皇の陵墓だって途中で今の場所の移築されてもいますしねえ・・・
・・・興味は尽きません。
投稿: 三友亭主人 | 2017年3月 3日 (金) 06時48分
三友亭主人さん
本当に興味は尽きませんね。
発掘されているのはまだ周辺部(だからこそ、全体の規模が推定されたわけですけど)のみのようですので、石室のあたりが発掘されたら、何か分かりましょうかね。
天皇陵に指定されたら掘れませんけど、今ならば掘り放題ですものね。(^_^)
投稿: 玉村の源さん | 2017年3月 3日 (金) 08時32分