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2017年1月20日 (金)

『大和回遊名所案内図』

 昔の奈良の地図を入手しました。入手先は毎度おなじみのネットオークションです。

 袋には「大和めぐり名勝案内地図」とあります。
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 地図本体の左上には「大和回遊名所案内図」とあります。
S15yamatokaiyu02
 両者、題名が一致していません。おおらかと言いましょうか。(^_^; ブログのタイトルは地図本体の題名によりました。昭和15年3月の発行です。

 奈良市中心部はこんな感じです。
S15yamatokaiyu03
 平城宮跡はこの範囲よりも西に位置しますけど、この地図には一切載っていません。この時代にはまだ宮跡の位置が確定していないのでしょうね。

 久米寺前で見た道標関係のあれこれ。神武天皇陵、岡寺、橘寺です。久米寺も。
S15yamatokaiyu04
 天理。駅名はまだ丹波市(たんばいち)ですね。
S15yamatokaiyu05
 人麻呂塚や和尓社が載っています。そして、画面右側には天理教本部が一部見えています。

 上の画像で一部が見えていた天理教本部、実はこんなに大掛かりに描かれています。
S15yamatokaiyu06
 東大寺や興福寺よりも遥に大きく詳しく載っています。破格の扱いですね。これは興味深かったです。そのあおりを受けて(?)石上神社が実際よりも東に移動していませんか?(^_^;

 他に興味を惹かれたのは、定家の歌です。
S15yamatokaiyu07
 「佐野の渡り」が三輪山の南、初瀬川に設定されています。万葉集に載っているこの歌の本歌「苦しくも降り来る雨か神(みわ)の崎狭野の渡りに家もあらなくに」(265)の「神の崎」や「狭野の渡り」は、今、和歌山県新宮市とされていますが、中世には、「神の崎」が大和の三輪と誤解されたこともあったようですね。

 定家自身は佐野をどこと考えてあの歌を作ったのでしょうね。

 大坂夏の陣の折、若江で討ち死にした木村重成が大きく取り上げられていました。
S15yamatokaiyu08
 NHK大河「真田丸」では、木村重成は、後藤又兵衛や明石全登など五人衆に比べるとやや影が薄い存在でしたけれども、昭和15年頃の人気のほどが偲ばれます。

 古いものはとにかく楽しい。(^_^)

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コメント

>駅名はまだ丹波市ですね。

天理市制の開始は1954年ですからね。そんでもって、近鉄(当時は天理軽便鉄道)の方は1915年には天理駅という駅名を使い始めてました。JRの方は1963年に丹波市駅から天理市駅に改名、2年後の1965年、近鉄の駅と統合され「天理駅」となりました。

>後藤又兵衛や明石全登など五人衆・・・

そうそう、宇陀には大坂の陣以後に後藤又兵衛が逃れてきて余生を送ったという伝説がありまして、それにちなんだ巨大なしだれ桜が「又兵衛桜」と呼ばれ観光スポットになっています。そうそう、この桜、阿騎野にあるんですよ。

三友亭主人さん

 御教示ありがとうございます。

 国鉄の駅名は1963年(昭和38年)まで丹波市だったのですね。東京オリンピックの前年。

 この地図で、丹波市駅の北西に黒丸に白抜きで「天理」と書いてあり、そこから西に向かって赤い線が見えるのが私鉄線でした。大阪電気軌道線とあります。

 駅名は、天理-前栽-二階堂-平端-額田部-大和安堵-新法隆寺です。

 今は平端で吉野線に合流してしまい、その先はありませんけど、法隆寺まで乗り換えなしで行けたら便利でしょうにね。

 後藤又兵衛生存伝説があるのですか。私はいまだに安騎野には行ったことがありません。いつか行く時には又兵衛桜も忘れないように見て来ます。

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