真田丸跡をゆく(3)
「真田丸をゆく」、まだ続きます。
心眼寺の門には次のような解説板が掲示されています。内容は真田丸の解説です。
地図の一部を拡大します。
点線で囲まれた部分が真田丸ということでしょう。昨日・一昨日のとはだいぶ形が異なり、東西に細長い形です。
範囲の推定については根拠も示されていませんし、当否の判断ができませんが、注目すべきは土台の地図で、明治18年頃のものだそうです。
これに相当する現代の地図を載せます。範囲はややざっくりですが。(^_^;
両者を比べると、現代の地図にはある大阪明星学園の西沿いの道が明治18年頃のにはありません。
この道は昨日・一昨日は真田丸の西限と推定した大事な道です。(^_^;
ま、道はなくても良いのですが、ここで、一昨日の古絵図が思い出されました。
一昨日は、この絵図に相当する現代の地図ということで、以下の地図を載せました。
古絵図では真田丸の北から西にかけて斜めの道が通っています。この道に注目すれば、現代の地図はもっと西まで広げるべきでした。以下のように。
「ブラタモリ」における真田丸の範囲推定も、ひょっとしたらもっと南西の方向に相似形に広げるべきものではないのかと思えてきました。
また考えることが増えました。もう少し考えてみます。
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なかなか鋭い考察ですね。
何事にも研究熱心な,先生ならではの記事に感服しました。
というより,楽しませていただきました。
いつでも真田丸に行けるような環境だと
もっと調べることができるのにね・・・。
投稿: 萩さん | 2016年12月 8日 (木) 08時45分
萩さん
お言葉ありがとうございます。励みになります。
大坂冬の陣の後、真田丸は形跡もなく破却されてしまったのでしょう。それで、どこにあったのかが分かりにくくなってしまったのでしょうね。
もう少し、いろいろな時代の地図を見たいです。
ほんと、さっと真田丸跡に行けたら良いのにと思いました。
投稿: 玉村の源さん | 2016年12月 8日 (木) 10時08分