真田氏の過去帳(1)概要
しばらく前に真田氏の過去帳を入手しました。入手先はおなじみのネットオークションです。
昨年の10月に善光寺に行った折、境内にあった墓石の戒名がこの過去帳に載っていたということを当ブログにアップしました。この過去帳に触れるのはあれ以来です。
この過去帳には「真田丸」に登場する人物も何人か載っていますので、ネタバレになってはまずかろうと思って、その後触れないできましたが、番組も終わってしまいましたので、改めてご紹介します。
この過去帳の由緒は全く不明です。真田氏や真田氏の菩提寺に伝わる過去帳の写しなのか、それらとは全く無関係に部外者によって作られたものなのか分かりません。
表紙はこんな感じで、題簽はありませんし、題簽が剥がれた形跡もありません。
表紙をめくると、表紙裏は白紙で、その左ページ(第1丁ですね)は以下の通りです。
冒頭にあるのは昌幸の父幸隆です(以下、敬称略)。
それから、昌幸、信之、信政、幸道、信弘、信安、幸弘、幸専、幸貫と、歴代当主が続きます。歴代当主を10人列挙したあと、改丁して、歴代当主の妻子などが89名列挙されています。
歴代当主10名+その他89名=全部で99名が収録されています。
この過去帳の最後の当主幸貫については「嘉永五年 子六月十七日 六十二歳御卒去」とあります。幸貫の実際の命日は嘉永5年(1852)の6月8日らしいので、日付が合いません。間違いなのか、あるいは過去帳の日付は幕府に届け出た日付なのかもしれません。
この過去帳で一番新しい日付は安政6年(1865)ですから、この過去帳が書かれた(写された)のはそれ以降ということになります。
幸村も載っています。
ご覧の通り、「幸村公」とあります。真田幸村という名は後世の軍記物などに登場する名で、史実としては信繁が正しいとされています。とすると、この過去帳は怪しいのでしょうか?
ただ、この過去帳では幸村の享年は四十六とあります。幸村(信繁)の享年は通常49とされていますが、ネット情報ながら、真田氏の菩提寺である松代の長国寺の過去帳では、46となっているそうです。
それと一致しますね。
興味深いです。
明日は、「真田丸」に登場した人々がこの過去帳でどのように書かれているか見てみます。
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