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2016年12月27日 (火)

真田氏の過去帳(2)「真田丸」の人々

 昨日載せた真田氏の過去帳の続きです。

 今回は「真田丸」に登場した人々を拾いました。

 まず、昌幸と信之は、前回画像を載せましたように、第1丁に歴代当主として2人並んで載っています。
Sanadakako04
 昌幸の没年は慶長16年6月4日。慶長19年(1614)大坂冬の陣の3年前ですね。存命だったら勇んで大坂城に乗り込んだことでしょう。享年には異説があるようですが、この過去帳では70となっています。

 信之の享年は93。当時としてはとんでもない長寿ですね。没年の万治元年(1658)は大坂冬の陣の43年後に当たります。弟の分も長生きした感じですね。

 有働さんのナレ死を「まだ早い」と言ってはねのけた真田のばばさまも載っています。右端です。草笛さん。
Sanadakako05
 出自は河原氏とあります。調べたところ、真田家家臣の河原綱家(真田父子犬伏の別れの折、誰も近づくなと言われていたのに、様子を見に行って下駄を投げつけられ、前歯が折れたという逸話のある人です)の叔母に当たるようです。

 ばばさまに続いて、昌幸の長兄信綱と次兄信輝が並んでいます。ふたり揃って長篠の合戦で討ち死にしました。それで昌幸が真田の家督を相続することになったわけで、兄2人のうちどちらかでも存命ならば、昌幸・信之・信繁のその後も変わっていたことでしょう。この兄弟はいずれもばばさまの子だったのでしょうか。もしそうなら、2人の子を一度に亡くしたばばさまの嘆きはいかばかりであったかと思います。

 昌幸の正室も載っています。高畑さん。
Sanadakako06
 正親町三条中納言の姪で、菊亭大納言の娘、武田信玄の養女とあります。三谷さんは、そんなに高い身分のはずがないと考えて、実は菊亭大納言の侍女だったのに、娘と自称したという風に設定したのでしょう。確かにそんな可能性もあるように思います。

 真田兄弟の姉様も載っています。木村佳乃さん。
Sanadakako07
 小山田壱岐守殿御内室とあります。寛永7年(1630)6月20日卒ということで、亡くなったのは冬の陣の15年後です。

 小松姫も載っています。吉田羊さん。
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 本多忠勝殿御息女 東照神君御養女とあります。藤岡弘、の恐ろしい顔が目に浮かびます。(^_^; 没年は元和6年(1620)です。夏の陣のわずか5年後ですね。

 信繁の子、大助も載っています。
Sanadakako08
 享年十六とあります。

 「真田丸」に登場した人物で載っているのは大体こんなところです。信之の子、信吉も載っていますが画像は省略しました。

 昌幸の弟信尹は載っていません。信之の側室おこうさんも、信繁の妻達も。

 全体をきちんと見ていませんけれども、側室は載せない方針かもしれません。また、歴代当主本人とその妻子が対象ですので、信繁は載っても、信繁の妻子までは載らないのでしょう。大助が載っているのがむしろ例外的という気がします。

 なかなか興味深い史料です。

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