心眼寺をゆく
4回に亙って真田丸跡について考えてきました。手持ちの材料からはこれでほぼ限界です。(^_^)
今夜9時からのNHK「ニュースウオッチ9」によれば、真田丸跡を発掘中で、盛り土とおぼしき地層が見つかったとのことでした。また、来週金曜日の「歴史秘話ヒストリア」のテーマは「真田丸を掘る 地中に眠る信繁の城」です。ブログを書いたことが予習になっていますので、理解しやすいことでしょう。楽しみに番組を見ることにします。今からわくわくしています。(^_^)
今日は心眼寺のことをアップします。
心眼寺の場所が、真田丸の東の向かいになるのか、あるいは真田丸の郭内に当たるのか、はっきりしません。ただ、心眼寺は、元和8年(1622)に白牟和尚が真田信繁父子の菩提を弔うための堂舎をこの地に祀ったことに始まるとのことですので、大坂冬の陣の時にはこのお寺はまだ存在していません。
山号は真田山です。門扉には六文銭が。
信繁父子の菩提を弔うといっても幕府を憚って墓を作るわけにもゆかなかったのでしょうか、一昨年、大坂の陣から400年に当たるのを期して、はじめて信繁の墓が建てられました。
境内には京都見廻組隊士の桂早之助、渡辺吉太郎(墓石には「吉三郎」とありますが、「吉太郎」が正しいとのことです)の墓があります。
戊辰戦争終結後に新政府に捕らえられた元京都見廻組の今井信郎の供述によれば、坂本龍馬を暗殺したのは見廻組の佐々木只三郎を指揮者とする数名で、その中にこの2人も含まれているとのことです。
2人とも鳥羽伏見の戦いで討ち死にし、当寺に葬られました。
桂早之助は京都生まれ、渡辺吉太郎は江戸生まれだそうです。見廻組は京都に駐屯していたわけですから、なぜこの2人が大阪の心眼寺に葬られることになったのか、そのいきさつは分かりません。
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