契沖・近松の遺跡
真田丸の跡とおぼしき大阪明星学園のすぐ西に契沖の旧跡があります。
円珠庵という名で、契沖の旧庵であり、また、ここに墓もあるようです。
現地を訪れながら「ようです」というのもナンですけど、門にこんな張り紙がありました。
なんか、写真撮影を巡って、大きな迷惑を蒙ったことがあったのでしょうかね。この張り紙を見て、中に入らずに引き返してしまいました。契沖にあやかるべく参拝すれば良かったかなぁという気もします。(^_^;
ここからずっと西に歩いて、谷町筋でこういう案内板を見つけました。
近松門左衛門の墓石はこの近くにあるようでしたが、見当たりませんでした。探し方が悪かったのかも。
円珠庵も近松の墓地も、その存在は全く知らず、歩いていて出くわしました。ふらふら歩いていて思いがけないものを見つけるのは楽しいです。(^_^)
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円珠庵はずいぶん昔に(何処にあるのか忘れてしまうぐらい)言ったように思います。
学生の時だったかと思いますが、あつ~い夏の日に、一人ふらっと行ってみようと思いでかけました。
古本屋さんで、かなり昔の版の代匠記(当時契沖全集のやつも出ていたのですが、ちょいと手が出なかったもので)を手に入れることが出来まして・・・これは、一度契沖さんにお会いしなければ・・・という思いでした。
当時は、ネットで調べればどこにあるかすぐにわかるという時代ではありませんでしたから、天王寺にあるという我が師匠のM先生の情報をもとに、阿部野橋の駅をおりてあちらこちらをふらついているうちに運よくたどり着けました。
投稿: 三友亭主人 | 2016年12月12日 (月) 22時47分
三友亭主人さん
学生の頃に契沖のお墓参りに行かれたのでしたか。それは立派です。
円珠庵の場所は、上本町駅と玉造駅との中間くらいですので、暑い中、阿部野橋から歩かれたのなら、随分大変だったことでしょう。
当時発売されていた契沖全集は岩波書店のですよね。購入するには全巻予約で分売不可だったと思います。そういう売り方をされては手が出ませんね。
幸い、渋谷の大盛堂書店では分売してくれたので、代匠記と国語学関係の巻だけ買いました。ありがたい本屋さんでした。
投稿: 玉村の源さん | 2016年12月13日 (火) 00時10分
近松のお墓は、民家(だったと思う)とガソリンスタンド(まだあるかは未詳)との間の路地(たしかこの看板の脇、ほとんど民家の玄関口と思えるような)を入って鍵形に左折した奥の、「民家の二階の下」みたいなところにありますよ。
投稿: 惟光(天爵露城) | 2016年12月13日 (火) 03時18分
惟光さん
ご教示ありがとうございます。
そういう場所でしたか。
それならば、程近くにあったわけですけど、見つけるのは容易ではなかったですね。
いつかまた行ってきます。(^_^)
投稿: 玉村の源さん | 2016年12月13日 (火) 03時33分
契沖の円珠庵は一件の価値ありです。
おどろな雰囲気の一角がありますので、撮影禁止なのだと思います。(^^;)
投稿: 晴南 | 2016年12月13日 (火) 21時01分
晴南さん
そうでしたか。
あの貼り紙が感じ悪かったので、門前で引き返してしまったのでしたが、失敗でしたかね。(^_^;
投稿: 玉村の源さん | 2016年12月13日 (火) 21時06分