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2016年12月

2016年12月31日 (土)

まほろぐランキング2016

 大晦日になりました。

 当まほろぐも皆様のご支援を頂いて、今年も無事に年末を迎えることができました。厚く御礼申し上げます。

 今年の1月1日からここまでのページ別アクセスランキングを掲載致します。
Mahorank2016
 当初は今夜9時頃の時点でのデータをアップしましたが、あとから、日付けが変わった後の最終的なデータと差し替えました。

 まほろぐの表紙やカテゴリーは含めていません。ぐんまちゃん関係にはぐんまちゃん色(?)を付けました。奈良関係は黄緑です。今年は「真田丸」関係とかるたも目立ちました。「真田丸」関係は赤備えにちなんで赤、かるたは特に理由はなく水色に塗りました。右端の昨年の順位は、昨年ランキング入りしたもののみです。

 上位は毎年上位を占めているものが多いです。

 第4位の「前橋市の旧町名」は昨年12月のアップでした。年をまたいで結構伸びました。

 また来年もどうぞよろしくお願い致します。

 よいお年をお迎えくださいますよう。

2016年12月30日 (金)

民族大移動&ぐんまちゃん特急

 今日は東京・群馬日帰りの往復をしました。

 行きは東京から群馬への移動なので下りです。帰省ラッシュの下り新幹線の混雑のピークは昨日だったようですが、今日も十分に混むことが予想されました。

 で、予想通り、座れませんでした。(^_^;

 高崎駅に着いた時、下りはこんな感じです。
Shinkansenkonzatsu01
 △が少し、あとは×ばっかり。高崎から先の在来線も混んでいました。

 同じ時間の上りはこんなです。
Shinkansenkonzatsu02
 あらかた○ですけど、発車時刻の近い列車には△や×もありますね。人の移動は必ずしも一方的ではないようです。

 用事を済ませて、帰りは在来線に乗ることにしました。あまり待たずに乗れる特急がありましたので、それ狙いということもありました。いえ、先月、ぐんまちゃんのラッピングを施した特急を見かけて、3枚写真を撮ったのですが、別の絵柄を1枚撮り損ねましたので、それに会えると良いな、と思いました。テツでもないのに。

 7両編成で、1両目と7両目が同じ絵柄、2両目と6両目が同じ絵柄、3両目と5両目が同じ絵柄、そして真ん中の4両目が別の絵柄ということで、絵柄は全部で4種類です。先日は1両目から3両目までの絵柄を撮影しました。残るは4両目のみ。

 自由席は1両目と2両目ですが、撮影の都合上、4両目のところで列車を待ちました。

 特急が来ました。
Gunmac_kusatsu05
 ぐんまちゃん特急でした。♪ いや、ついてます。

 無事に4両目の撮影もできました。(^_^)
Gunmac_kusatsu06
 撮った後は、自由席に乗るべくホームを走りました。テツでもないのに、不審者です。(^_^;

 無事に乗ることができ、席にも座れました。上り方向は帰省ラッシュとは逆方向ですからね。

 上野駅に着いて、啄木の歌碑を撮りました。
Takubokukahi

2016年12月29日 (木)

現美新幹線

 先日、偶然に現美新幹線に遭遇しました。この列車をナマで見るのは初めてです。全く想定外でしたので、びっくりし、また嬉しかったです。(^_^)
Genbi01
 6両編成でした。珍しかったので、テツではないのに、ホームを移動してしまいました。アートですなぁ。
Genbi02
 端まで行ってしまいました。(^_^)
Genbi03
 端まで行ったら、また戻って。(^_^) 窓の向こうに室内が見えるところもありました。これは花の絵ですね。
Genbi04
 これは写真でしょうか。
Genbi05
 いつか乗ってみたいです。

2016年12月28日 (水)

ぐんまちゃんの5色ボールペン

 先日、このようなボールペンを見かけました。
Gunmac_ball01
 この時点では、ぐんまちゃんの絵の付いた普通の多色ボールペンと思ったのですが、反対側を見て、「おお!」と思いました。

 ぐんまちゃん色があります。(^_^)
Gunmac_ball02
 このボールペンがあれば、ぐんまちゃんの絵が描けます。いえ、私はヘタなので描けませんけど、描ける人には描けるようにこの色が加わっているのでしょうかね。こういう色が入っているのが珍しくて買ってしまいました。

 紙に書いてみるとこんな感じです。
Gunmac_ball03
 字も絵も下手ですけど、線を引くのもヘタ。(^_^;

 ともあれ、ぐんまちゃん色ですね。

 それは良いのですが、このボールペン、黒がありません。黒く見えるのはシャープペンシルです。5色のボールペン+シャープペンシル。

 私は一番使うのが黒なので、このボールペンを持ち歩くとすると、別に黒のボールペンも要ります。

 ううむ。個人的には紫(ピンク?)を省いて黒を入れて欲しかったです。

2016年12月27日 (火)

真田氏の過去帳(2)「真田丸」の人々

 昨日載せた真田氏の過去帳の続きです。

 今回は「真田丸」に登場した人々を拾いました。

 まず、昌幸と信之は、前回画像を載せましたように、第1丁に歴代当主として2人並んで載っています。
Sanadakako04
 昌幸の没年は慶長16年6月4日。慶長19年(1614)大坂冬の陣の3年前ですね。存命だったら勇んで大坂城に乗り込んだことでしょう。享年には異説があるようですが、この過去帳では70となっています。

 信之の享年は93。当時としてはとんでもない長寿ですね。没年の万治元年(1658)は大坂冬の陣の43年後に当たります。弟の分も長生きした感じですね。

 有働さんのナレ死を「まだ早い」と言ってはねのけた真田のばばさまも載っています。右端です。草笛さん。
Sanadakako05
 出自は河原氏とあります。調べたところ、真田家家臣の河原綱家(真田父子犬伏の別れの折、誰も近づくなと言われていたのに、様子を見に行って下駄を投げつけられ、前歯が折れたという逸話のある人です)の叔母に当たるようです。

 ばばさまに続いて、昌幸の長兄信綱と次兄信輝が並んでいます。ふたり揃って長篠の合戦で討ち死にしました。それで昌幸が真田の家督を相続することになったわけで、兄2人のうちどちらかでも存命ならば、昌幸・信之・信繁のその後も変わっていたことでしょう。この兄弟はいずれもばばさまの子だったのでしょうか。もしそうなら、2人の子を一度に亡くしたばばさまの嘆きはいかばかりであったかと思います。

 昌幸の正室も載っています。高畑さん。
Sanadakako06
 正親町三条中納言の姪で、菊亭大納言の娘、武田信玄の養女とあります。三谷さんは、そんなに高い身分のはずがないと考えて、実は菊亭大納言の侍女だったのに、娘と自称したという風に設定したのでしょう。確かにそんな可能性もあるように思います。

 真田兄弟の姉様も載っています。木村佳乃さん。
Sanadakako07
 小山田壱岐守殿御内室とあります。寛永7年(1630)6月20日卒ということで、亡くなったのは冬の陣の15年後です。

 小松姫も載っています。吉田羊さん。
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 本多忠勝殿御息女 東照神君御養女とあります。藤岡弘、の恐ろしい顔が目に浮かびます。(^_^; 没年は元和6年(1620)です。夏の陣のわずか5年後ですね。

 信繁の子、大助も載っています。
Sanadakako08
 享年十六とあります。

 「真田丸」に登場した人物で載っているのは大体こんなところです。信之の子、信吉も載っていますが画像は省略しました。

 昌幸の弟信尹は載っていません。信之の側室おこうさんも、信繁の妻達も。

 全体をきちんと見ていませんけれども、側室は載せない方針かもしれません。また、歴代当主本人とその妻子が対象ですので、信繁は載っても、信繁の妻子までは載らないのでしょう。大助が載っているのがむしろ例外的という気がします。

 なかなか興味深い史料です。

2016年12月26日 (月)

真田氏の過去帳(1)概要

 しばらく前に真田氏の過去帳を入手しました。入手先はおなじみのネットオークションです。

 昨年の10月に善光寺に行った折、境内にあった墓石の戒名がこの過去帳に載っていたということを当ブログにアップしました。この過去帳に触れるのはあれ以来です。

 この過去帳には「真田丸」に登場する人物も何人か載っていますので、ネタバレになってはまずかろうと思って、その後触れないできましたが、番組も終わってしまいましたので、改めてご紹介します。

 この過去帳の由緒は全く不明です。真田氏や真田氏の菩提寺に伝わる過去帳の写しなのか、それらとは全く無関係に部外者によって作られたものなのか分かりません。

 表紙はこんな感じで、題簽はありませんし、題簽が剥がれた形跡もありません。
Sanadakako01
 表紙をめくると、表紙裏は白紙で、その左ページ(第1丁ですね)は以下の通りです。
Sanadakako02
 冒頭にあるのは昌幸の父幸隆です(以下、敬称略)。

 それから、昌幸、信之、信政、幸道、信弘、信安、幸弘、幸専、幸貫と、歴代当主が続きます。歴代当主を10人列挙したあと、改丁して、歴代当主の妻子などが89名列挙されています。

 歴代当主10名+その他89名=全部で99名が収録されています。

 この過去帳の最後の当主幸貫については「嘉永五年 子六月十七日 六十二歳御卒去」とあります。幸貫の実際の命日は嘉永5年(1852)の6月8日らしいので、日付が合いません。間違いなのか、あるいは過去帳の日付は幕府に届け出た日付なのかもしれません。

 この過去帳で一番新しい日付は安政6年(1865)ですから、この過去帳が書かれた(写された)のはそれ以降ということになります。

 幸村も載っています。
Sanadakako03
 ご覧の通り、「幸村公」とあります。真田幸村という名は後世の軍記物などに登場する名で、史実としては信繁が正しいとされています。とすると、この過去帳は怪しいのでしょうか? 

 ただ、この過去帳では幸村の享年は四十六とあります。幸村(信繁)の享年は通常49とされていますが、ネット情報ながら、真田氏の菩提寺である松代の長国寺の過去帳では、46となっているそうです。

 それと一致しますね。

 興味深いです。

 明日は、「真田丸」に登場した人々がこの過去帳でどのように書かれているか見てみます。

2016年12月25日 (日)

クリスマスタルト

 クリスマスのお菓子を頂きました。
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 上にヒイラギの飾りがついていますね。光が反射して中身は見えにくいです。

 出してしまいました。

 まずは、ショコラタルトノエル。
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 もう1つは、ティラミスタルト。
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 こちらは移動中にチョコレートが一部剥げてしまいました。残念です。申し訳ない。……「はげて」。イヤな言葉だ。(^_^;

 おいしゅうございました。♪

2016年12月24日 (土)

Suicaペンギンと遭遇

 東京駅構内の八重洲口側で遭遇しました。♪ 臨時にクリスマスのセットが建てられていて、その前で愛嬌を振りまいていました。
Suica_tokyo01
 高崎駅構内のぐんまちゃんに負けないくらい、ツリーの根方にはプレゼントが積んでありますね。(^_^)

 今日はスマホのモバイルSuicaで上越新幹線の上りに乗って東京駅に着きました。ところが、その時点でスマホの電池残量が1%になっていました。東京駅で山手線に乗って五反田駅で改札を出る予定でしたが、その時に電池残量がゼロになっていると厄介と思い、東京駅で一度改札を出てしまいました。そして、Suicaカードでまた入場しました。このお蔭でSuicaペンギンに会えたのです。

 電池残量が十分にあれば、真っ直ぐ山手線に乗ったはずで、そうしていたらSuicaペンギンには会えませんでした。世の中、何が幸いするか分かりません。←それほどのことではありませんが。(^_^)

 Suicaペンギンは握手をしたり、
Suica_tokyo02
 子供の相手をしたりと、大変にフレンドリーでした。子供に対しては、ちゃんと姿勢を低くしていますね。立派です。
Suica_tokyo03
 付き添いのお姉さんがいて、頼めばSuicaペンギンとのツーショットも撮って貰えたのですが、申し出る勇気が湧きませんでした。シャイです。←ああ、しゃいですか。(^_^)

 そのことをそう後悔はしなかったのですが、あとで、「あっ!」と思いました。

 3年前、午年の年賀状を作る時にぐんまちゃんとのツーショットの写真を使いました。来年は酉年。3年前にならって、Suicaペンギンとのツーショットの写真を使う手はあったなぁと気付きました。

 知恵はあとから湧いてきます。

 でも、酉年といっても、その酉は鳥全般ではなくて、ニワトリのことですよね。それならばSuicaペンギンとのツーショットを使ったりしては、ものを知らないと思われるかもしれません。これで良かったのでしょう。

2016年12月23日 (金)

ニューイヤー駅伝2017

 今日は祝日ですが、仕事で前橋に行きました。県庁に寄ったら、来年元日に群馬で開催されるニューイヤー駅伝の大きな看板が設置されていました。
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 ここにもぐんまちゃん。引っ張りだこで働いています。

 今日は風が強く、林立しているニューイヤー駅伝ののぼり旗も激しくはためいていました。
Newyearekiden2017b
 名にし負う空っ風の土地柄ですので、駅伝当日も強風が吹き荒れるかもしれません。かなりハードなレースになる年もありましょう。

 「おのおの抜かりなく」ですね。

 このレースは、地元群馬テレビと、TBSで全国中継するようです。新年早々群馬の宣伝にもなります。(^_^)

2016年12月22日 (木)

先日、高崎で忘年会

 先日、高崎市内で毎年恒例の忘年会がありました。もう2週間も前だったのですが、大阪ネタの連投でアップが遅くなりました。

 会場はクリスマス風に飾られていました。
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 これはカボチャの馬車でしょうか。もしそうなら、これはクリスマスとは別かもしれません。
George02
 こういうビールが出ました。地域限定のようです。
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2016年12月21日 (水)

高崎駅のぐんまちゃん、クリスマス

 高崎駅の新幹線改札内にお目見えしたぐんまちゃん、今はクリスマスバージョンです。
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 硬い素材なので、サンタさんの衣装を身に着けるのは難しそうです。

 向かって右側面の下部にはプレゼントがいっぱい。
Gunmac_takashin03
 ぐんまちゃん、友達がたくさんいるのでしょう。(^_^) プレゼントの箱をよく見ると、ユニオンジャックの絵のあるものあり、エッフェル塔の絵のあるものあり、なかなか国際的なのでした。

2016年12月20日 (火)

上野三碑講演会で講演

 一昨日の日曜日、渋川公民館で講演をしてきました。演題は「伊香保-万葉に歌われたふるさと」です。レジュメはこちら

 これは、上野三碑世界記憶遺産登録推進協議会(事務局:群馬県文化振興課内)が主催する「上野三碑講演会」の一環です。

 この講演会は、
>上野三碑のユネスコ「世界の記憶」登録を推進するため、講演会を県内各地で開催します。
>また、上野三碑と各地域の関係についても、地元講師を招き、講演を行います。
という趣旨で、今年の10月30日から来年の2月18日まで、全9回にわたって県内9ヶ所で開催されます。
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 講師は、前澤和之氏(跡見学園女子大学兼任講師)・熊倉浩靖氏(群馬県立女子大学教授・群馬学センター副センター長)のお二人で、これに加えて、毎回各地域の地元講師1名が加わります。

 私は渋川在住ということで、渋川地区の地元講師ということになりました。地元講師の講演テーマは、その土地にまつわる内容です。その土地の方々に少しでも上野三碑に親しむ手がかりになるようにとの趣旨でしょう。

 私の「伊香保-万葉に歌われたふるさと」という演題は熊倉氏からの提案です。私も異存なくお引き受けしたのですが、会の趣旨からいえば、メインテーマはあくまで上野三碑なのですから、伊香保の東歌の話を勝手にすれば良いわけではなく、それと上野三碑とを絡めることが期待されます。

 あれこれ頭をひねったのですが、これが全く絡まないんですねぇ。(^_^;

 なぜ絡まないのか考えました。

 上野三碑のうち山上碑は亡き母の墓誌銘です。多胡碑は建郡記念碑。金井沢碑は仏教関係の誓願文です。

 これに対して、東歌には挽歌は1首しかなく、大部分は相聞歌(および譬喩歌)です。墓誌や行政とは縁遠い内容です。また、万葉集の中に仏教的要素はないわけではありませんけど、少ないですね。

 そして、石碑は、何としても後世に伝えたいことを文章化して石に刻んだものであるのに対し、歌は口頭でうたわれたものであり、東歌には方言もたくさん用いられています。

 そんなわけで、両者には接点があまりないんですね。

 上野三碑と上野国東歌って、ほぼ同じ時代の(上野三碑の方がやや古いですけど)、同じ地域のものでありながら、随分違った存在であることに改めて気付きました。

 これは、上代における言語生活の多面性をものがたる一つの現れと位置づけられそうです。

 あれこれ考えて勉強になりました。おもしろかったです。

2016年12月19日 (月)

安居天神をゆく(2)

 安居神社の社殿です。
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 社殿の前、左右に狛犬がいます。昨日の「真田丸」最終回でも、幸村終焉の地に狛犬がいたような。

 この神社は天神様なので、天満宮に付きものの牛もいます。
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 さなだ松。幸村はこの場所の松の根方で休息していたということです。ただ、当時の松の木はもう枯れてしまって、今ある松は、のちに同じ場所に植えられたものだそうです。
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 境内の奥に桜の木がありました。
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 この桜についての解説板です。
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 ここには、平成18年10月に大阪城と上田城とが友好城郭提携を結んだこと、平成21年に上田市有志の会から、友好城郭提携3周年、新生上田市発足3周年を記念して、信州上田のしだれ桜、ソメイヨシノの奉納申し入れがあり、幸村終焉の地である安居神社境内に植樹したことが述べられています。

2016年12月18日 (日)

安居天神をゆく(1)

 「真田丸」、ついに終わってしまいました。NHK大河史に残る名作と思います。

 最終回の真田丸紀行は、幸村終焉の地、安居神社でした。先日の大阪出張の折に行ってきました。(^_^)
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 このようなのぼり旗が立っていました。
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 幸村像。戦いに疲れて休んでいる姿でしょう。
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 そばには戦死跡の碑がありました。酒樽が供えられています。
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 銘柄は「六文銭」。故郷の信州の清酒のようです。幸村公も満足なのではと思います。
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 このような立て札がありました。
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 要はペットを連れてきてはいけないという趣旨なのでしょうが、そうは言わずに「ペットの参拝」と表現したところがいいです。神主さん、動物好きかもしれません。

 この神社の飼い猫か、勝手に住みついた猫か分かりませんが、社務所の脇にこんなネコがいました。気持ちよさそうに日向ぼっこをしていました。
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 顔も洗って。
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 もう1匹ネコを見かけたのですが、それはあとで撮ろうと思って、境内を一回りして戻ってきたら、もういませんでした。教訓。猫は撮れる時に撮らねば。

 この神社には2003年にも訪れています。その時には白い猫がいました。真っ白だし、気品が漂っていましたので、神馬ならぬ神猫かと思いました。
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 もう1匹。
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 どうも猫が住みつく神社のようです。

2016年12月17日 (土)

かいこが紡ぐことばと生活展

 群馬県立日本絹の里で、「かいこが紡ぐことばと生活展」を開催中です。
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 チラシの裏です。
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 この展覧会の趣旨は以下の通りです。勤務先同僚の新井先生が協力しています。
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 このような催しやら、
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 このような催しやらがあります。
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 すみません。お知らせが遅くなってしまいましたので、もう終わってしまったものもあります。

 会場は鉄道の駅からはちょっと行きにくいところですが、土屋文明記念文学館からほど近くです。2つセットで行かれてもと思います。

 なお、その土屋文明記念文学館では、来年の1月から3月にかけて、「方言の豊穣、文学の実感―井上ひさし・伊藤信吉の世界―」が開催されます。こちらも同じ新井先生が協力しています。

2016年12月16日 (金)

春日大社監修の駅弁「春日彩膳」

 10月に、奈良の春日大社・興福寺の駅弁のことを書きました。

 そのうち興福寺監修の駅弁「心」は、奈良大学で開催された萬葉学会の帰りに京都駅でゲットできました。

 そして、この度、大阪樟蔭女子大学で開催された全国大学国語国文学会の帰りに、春日大社監修の「春日彩膳」を新大阪駅で無事にゲットすることができました。
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 期間限定とのことですので、両方とも無事に入手できて幸いでした。購入したのは学会が終わった12月4日(日)のことですが、毎日書くことがあったので、今日になってしまいました。

 中身です。
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 お品書きです。奈良だからといって、やはり鹿肉は入っていません。ま、春日大社のお弁当に入っているはずもありません。(^_^;
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 お品書きの終わりの方に記載されているお箸はこれです。
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 なお、お品書きの中に「ごま豆腐 藤流し」とあるのはこれです。春日大社ゆかりの藤をイメージした風雅なごま豆腐です。
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 で、私、お品書きを読む前に、電子レンジで丸ごとチンしてしまいまして、折角のこのごま豆腐は溶けて液状になってしまいました。(^_^; 仕方がないので、スプーンですくって食べたそうな。

2016年12月15日 (木)

全国大学国語国文学会2016冬

 大阪紀行を延々と続けて参りました。今回の大阪旅行は、全国大学国語国文学会の冬季大会が大阪樟蔭女子大学で開催されたことに伴うものでした。でも、これだけ史跡めぐりの記事が続くと、「本当に大会に出席したのか疑惑」が。(^_^;

 出席しましたよ。べったり参加していたのかと言われれば、口ごもりますけど。(^_^;

 1日目は朝11時からの会議に出席しました。お昼のお弁当です。ひょうたん型の容器に味があります。
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 中身です。
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 おいしゅうございました。昼はあまり食べないので、分量もちょうど良かったです。

 午後はシンポジウムです。
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 まず大阪大学名誉教授・阪急文化財団理事・同館長の伊井春樹氏による基調講演「与謝野晶子の『新訳源氏物語』から『新新訳源氏物語』へ―「源氏物語礼讃歌」の成立とともに―」があり、続いてお三方によるシンポジウムがありました。

 メンバーは、慶應義塾大学教授の田坂憲二氏「戦後の与謝野源氏と谷崎源氏―出版文化史の視点から―」、富山大学教授の呉羽 長氏「田辺聖子『新源氏物語』から『霧ふかき宇治の恋』へ―『源氏物語』の読みの深化について―」、神戸大学准教授の北村結花氏「翻案作品の変遷―田辺・瀬戸内訳からケータイ小説・ライトノベルへ―」で、コーディネーター・司会は、会場校である大阪樟蔭女子大学教授の中周子氏です。

 田坂氏。
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 呉羽氏。
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 北村氏。
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 中氏。
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 終了後は、学内の学食で懇親会が開かれました。どの料理も大変においしゅうございました。
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 中西進会長。
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 辰巳正明氏。
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 伊井春樹氏。
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 2日目は研究発表会でした。

2016年12月14日 (水)

真田丸跡探訪余滴

 真田丸跡の実地踏査の過程で撮った写真を何枚かご披露します。

 大阪環状線玉造駅で降りて、三光神社方面への道は「幸村ロード」と名づけられ、のぼり旗が立っていました。
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 三光神社に向かう一行。
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 真田丸顕彰碑を見る一行。
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 両者の時間差は30分ほどあります。どちらにもオレンジ色の人が共通ですので、同じ一行かと思いましたが、オレンジ色の人が背負っているリュックや、他のメンバーが重ならないようです。このオレンジの服はボランティアガイドのユニフォームかもしれません。

 こういった集団での見学者の他に、地図を片手の単独行の見学者(私もです)も何人も見かけました。真田丸ブームです。

 大坂城惣堀の跡。今はこういう道路になっています。なんとなく堀っぽい気がします。(^_^)
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2016年12月13日 (火)

天然寺/おちつき天神

 円珠庵から西へ行って、少し南に下ったところに天然寺というお寺がありました。円珠庵から300mほどの所です。

 おちつき天神ともあります。ここにお参りすると、落ち着きのある人間になれるのかと思って、中に入ってみました。
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 門を入って斜め前方が本堂のようです。
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 門を入った右手にお社がありました。
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 これが「おちつき天神」です。
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 参拝すると落ち着きのある人間になれるのではなくて、菅原道真が大宰員外帥として九州に赴く時に、潮待ちのためにこの地に落ち着かれたということで、この称があるのでした。
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 菅公が腰を掛けたという石がありました。
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 菅公にあやかろうと思って、腰掛けてみました。座り心地はよかったです。♪
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 うまくあやかれて学業成就すると良いです。流罪の方にあやかってしまうと困ります。(^_^;

2016年12月12日 (月)

契沖・近松の遺跡

 真田丸の跡とおぼしき大阪明星学園のすぐ西に契沖の旧跡があります。
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 円珠庵という名で、契沖の旧庵であり、また、ここに墓もあるようです。
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 現地を訪れながら「ようです」というのもナンですけど、門にこんな張り紙がありました。
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 なんか、写真撮影を巡って、大きな迷惑を蒙ったことがあったのでしょうかね。この張り紙を見て、中に入らずに引き返してしまいました。契沖にあやかるべく参拝すれば良かったかなぁという気もします。(^_^;

 ここからずっと西に歩いて、谷町筋でこういう案内板を見つけました。
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 近松門左衛門の墓石はこの近くにあるようでしたが、見当たりませんでした。探し方が悪かったのかも。

 円珠庵も近松の墓地も、その存在は全く知らず、歩いていて出くわしました。ふらふら歩いていて思いがけないものを見つけるのは楽しいです。(^_^)

2016年12月11日 (日)

「傾城阿波の鳴門」どんどろ大師

 真田丸跡を訪れた時、途中にありました。
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 どんどろ大師 善福寺です。

 三角形の敷地に建っていて、左へ進むと心眼寺坂です。

 この地は、真田丸の北出丸付近、またはその東に当たると思われます。

 宝暦2年(1752)、大坂の陣の戦死者の霊を弔うため、この地に鏡如庵大師堂が創建されますが、明治の初めに廃庵になり、のち、明治42年(1909)、この地に善福寺が移転してきて、現在は「どんどろ大師 善福寺」となっているようです。大坂の陣の戦没者を供養するためのお堂が建てられたということも、真田丸がこの付近にあったことの傍証になるのではないでしょうか。
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 人形浄瑠璃「傾城阿波の鳴門」の、有名な「して、かか様の名は」の場面がここを舞台にしていることで、門前にお弓・おつるの像があります。
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2016年12月10日 (土)

三光神社をゆく

 真田丸付近の真田関係の地としては、三光神社があります。心眼寺の東、直線距離で200mほどですが、実際に両者間を移動するには北か南を迂廻することになります。
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 神社入り口。
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 社殿は石段を登った先にあります。宰相山という山上にありますので、ここも高地です。それで、この神社の所在地も真田丸の候補でした。←過去形にしてしまっていますけど。
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 境内に幸村像があります。左の背後には楯が並び、銃口らしきものが見えます。真田丸のイメージでしょうね。そして、その下には、古墳の石室の入口のようなものがあって、人がのぞき込んでいます。
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 真田の抜け穴です。
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 入口には扉があって、六文銭がついています。
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 格子の隙間からレンズを入れて写しました。ちょっとピンぼけ。
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 古墳の石室のように見えますが、この穴は突き当たりで終わっているわけではなく、そこから左側に伸びているのだそうです。その少し先で崩落しているそうですが、以前は、まだ先まで続いていたのだとか。

 この地に真田丸があったと考えられたことから、真田の抜け穴と言われたのでしょうが、実際には徳川方が大坂城攻めのために掘った可能性もあるようです。

 付近には、観光地におなじみの顔出しパネルもありました。
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2016年12月 9日 (金)

心眼寺をゆく

 4回に亙って真田丸跡について考えてきました。手持ちの材料からはこれでほぼ限界です。(^_^)

 今夜9時からのNHK「ニュースウオッチ9」によれば、真田丸跡を発掘中で、盛り土とおぼしき地層が見つかったとのことでした。また、来週金曜日の「歴史秘話ヒストリア」のテーマは「真田丸を掘る 地中に眠る信繁の城」です。ブログを書いたことが予習になっていますので、理解しやすいことでしょう。楽しみに番組を見ることにします。今からわくわくしています。(^_^)

 今日は心眼寺のことをアップします。
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 心眼寺の場所が、真田丸の東の向かいになるのか、あるいは真田丸の郭内に当たるのか、はっきりしません。ただ、心眼寺は、元和8年(1622)に白牟和尚が真田信繁父子の菩提を弔うための堂舎をこの地に祀ったことに始まるとのことですので、大坂冬の陣の時にはこのお寺はまだ存在していません。
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 山号は真田山です。門扉には六文銭が。
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 信繁父子の菩提を弔うといっても幕府を憚って墓を作るわけにもゆかなかったのでしょうか、一昨年、大坂の陣から400年に当たるのを期して、はじめて信繁の墓が建てられました。
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 境内には京都見廻組隊士の桂早之助、渡辺吉太郎(墓石には「吉三郎」とありますが、「吉太郎」が正しいとのことです)の墓があります。
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 戊辰戦争終結後に新政府に捕らえられた元京都見廻組の今井信郎の供述によれば、坂本龍馬を暗殺したのは見廻組の佐々木只三郎を指揮者とする数名で、その中にこの2人も含まれているとのことです。

 2人とも鳥羽伏見の戦いで討ち死にし、当寺に葬られました。

 桂早之助は京都生まれ、渡辺吉太郎は江戸生まれだそうです。見廻組は京都に駐屯していたわけですから、なぜこの2人が大阪の心眼寺に葬られることになったのか、そのいきさつは分かりません。

2016年12月 8日 (木)

真田丸跡をゆく(4)

 先日載せた写真ですが、真田丸の中心部とおぼしき大阪明星学園の東沿いの道はこのような坂になっています。
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 写真は北側から南を望んでいます。北が低くて南が高くなっています。画面右側が明星学園、左側は心眼寺。この坂には心眼寺坂という名が付いています。

 下は大阪明星学園の西沿いの道です。
Sanadamaru14
 これも北から南を望んでいます。画面左側が明星学園です。これもまた北が低くて南が高くなっています。

 どうなんでしょ? 明星学園の東西の道がともに北に降って行く坂だとしたら、明星学園の敷地も含めて、このあたり一体、本来の自然地形としては、全体が北に降って行く斜面になっていたのではないかと思います。ただ、斜面のままでは明星高校としてはグラウンドも斜面になってしまうので、盛り土(今年の流行語ですね)をして、地表面を水平にしたのではないでしょうか。

 「ブラタモリ」では、以下の史料を引用して、真田丸は一段高いところにあるとしています。
Sanadamaru21
 そして、下の画面になります。
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 ここ、場所は少し違いますが、今日の記事の2枚目に示した場所のすぐ近く(大阪明星学園の西側)です。

 近代になってから盛り土をして高くしたのだとしたら、一段高いからといって、ここの写真を示すのは不適切ではないでしょうか。南の方は高くなっているのですから、そちらを一段高いところとして示す方が良かったのではないかと思います。

 真田丸のあった場所の北部は、北へ下がって行く傾斜地だった。この傾斜は北側の堀へと続いてゆくのか、あるいは堀そのものだったか、ということになりそうです。

 昨日、心眼寺にあった明治18年頃の地図を題材にしたことで、そういえば「ブラタモリ」にも明治時代の地図が出てきたなぁ、と思い出しました。次の地図です。
Sanadamaru23
 昨日の地図より古いのか新しいのか分かりませんが、縮尺の度合いは小さく、詳しい地図ですね。

 大阪明星学園はまだ影も形もありません。でも、その西沿いの道はありますね。(^_^; 今の道よりもずっと狭いですけど、あることはあります。ただ、全く同じルートではなく、南の方は一致するものの、北に向けて途中で東側に曲がっています。

 この曲がり具合が何ともですね。昨日に引き続き、ここでもまた大坂城天守閣蔵の絵図に描かれていた斜めの道を思い出しました。
Sanadamaru02
 昨日の心眼寺の地図にこの斜めの道が描かれていなかったのは、細い道だからなのでしょう。縮尺の関係と思われます。

 地図に描かれていないからといって、存在しなかったとは限らない、という教訓を得ました。(^_^;

 さて、なんかデータを小出しにしているようで心苦しいです。(^_^;

 実際はそんなつもりはありません。

 「真田丸跡をゆく」の(1)と(2)は大阪から帰るときから構想を考えて、(1)は真田丸顕彰碑にあった大坂城天守閣所蔵の絵図を中心に記事を書きました。(2)は「ブラタモリ」を見直して、「ブラタモリ」とそこで紹介されていた松江歴史館の絵図を中心に書きました。

 これで真田丸跡の話は終わる予定だったのですが、関連記事として心眼寺のことを載せようと思い、そこで撮った明治18年頃の地図を子細に眺めていたら、のちに大阪明星学園の敷地になる場所の西沿いの道がないことに気づき、大坂城天守閣蔵の絵図を見直すことになりました。

 その後、大阪明星学園の東沿いの道も西沿いの道も、どちらも北に降る坂だなぁ、ということをつらつら考えていたら、その2つの道が坂なだけでなく、明星学園の敷地自体が元々は斜面なのではないかと思い至りました。それで今日の記事になったという次第です。

 こちらの知識が増えて行くと、同じものを見ていても、今までは気付かなかったことに気付くようになります。なかなか玄妙なものであります。

 さて、「ブラタモリ」に登場した明治の地図、今明星学園のある場所には「字 真田山」とあります。現在、この地よりも少し南東に行ったところに真田山公園があり、その北には真田山小学校。そして、真田人気故でしょうか、近辺には「真田山」の付くマンションが多数。(^_^)

 でも、元祖真田山が明星学園の地なのだとしたら、その字名は真田丸の名残りといえそうです。

 地名は大切。

2016年12月 7日 (水)

真田丸跡をゆく(3)

 「真田丸をゆく」、まだ続きます。

 心眼寺の門には次のような解説板が掲示されています。内容は真田丸の解説です。
Sanadamaru20
 地図の一部を拡大します。
Sanadamaru18
 点線で囲まれた部分が真田丸ということでしょう。昨日・一昨日のとはだいぶ形が異なり、東西に細長い形です。

 範囲の推定については根拠も示されていませんし、当否の判断ができませんが、注目すべきは土台の地図で、明治18年頃のものだそうです。

 これに相当する現代の地図を載せます。範囲はややざっくりですが。(^_^;
Sanadamaru17
 両者を比べると、現代の地図にはある大阪明星学園の西沿いの道が明治18年頃のにはありません。

 この道は昨日・一昨日は真田丸の西限と推定した大事な道です。(^_^;

 ま、道はなくても良いのですが、ここで、一昨日の古絵図が思い出されました。
Sanadamaru02
 一昨日は、この絵図に相当する現代の地図ということで、以下の地図を載せました。
Sanadamaru03
 古絵図では真田丸の北から西にかけて斜めの道が通っています。この道に注目すれば、現代の地図はもっと西まで広げるべきでした。以下のように。
Sanadamaru19
 「ブラタモリ」における真田丸の範囲推定も、ひょっとしたらもっと南西の方向に相似形に広げるべきものではないのかと思えてきました。

 また考えることが増えました。もう少し考えてみます。

2016年12月 6日 (火)

真田丸跡をゆく(2)

 昨日書きましたように、元禄年間の『大坂三郷町絵図』(大阪城天守閣蔵)によれば、心眼寺等の4寺は真田丸の外部に位置するとみられますが、それで良いかどうか。

 真田丸の所在地を知る上で有用な資料がもう1つあります。11月12日(土)放送の「ブラタモリ」(「#54 大坂城・真田丸SP」)で紹介された『極秘諸国絵図』所収「大坂 真田丸」(松江歴史館蔵)です。
Sanadamaru11
 番組内で文字を入れた画像です。
Sanadamaru12
 この絵図に描かれている場所は、昨日の絵図と同じとみられます。この絵図でも寺院が南北に3つ(4つではありませんが)並んでいます。そして、これらのお寺の西沿いの道の曲がり具合が現代の道の様子とよく似ています。
Sanadamaru03
 番組では、現代の地図の上に、この絵図を印刷した透明シート重ねると見事に重なっていました。

 航空写真とも重なります。
Sanadamaru13
 画面中央よりもやや左下にタモリさんマークが付いています。そこは大阪明星学園の校舎の屋上です。番組の終盤で、タモリさんが屋上から真田丸跡を見ていました。

 この写真は上が北です。台地の左側2/3ほどが大阪明星学園の敷地で、道を挟んで右側1/3ほどに心眼寺等4寺が南北に並んでいます。4寺は真田丸の郭内に位置するように見えます。

 絵図では、真田丸の周囲、特に東西は崖として描かれています。北には出丸がありますね。真田丸自体が大坂城の出丸なわけですけど、その真田丸にも出丸が。

 この出丸は大坂城に向いて設けられています。敵が真田丸を迂廻して大坂城の惣構えに向かおうとすれば、その部隊に対して出丸から攻撃ができそうです。

 昨日今日のいずれの絵図でも、真田丸の西限は大阪明星学園の西限と重なるようです。そのあたりの写真です。
Sanadamaru14
 北から南に向けて撮りました。手前が低く南に向かって上り坂になっています。昨日の、大阪明星学園と4寺との間の道が北から南に向かって上り坂になっていたのと同様です。北が低いというのは大坂城の南限の堀に近いからでしょうかね。

 下は、心眼寺等の東側の道です。
Sanadamaru15
 南側から撮りましたので、画面向かって左側がお寺です。右側は普通に建物が建っていますが、その向こう側は崖になっています。その写真を撮らなかったことが悔まれます。(^_^;

 「ブラタモリ」をご覧になった方は、1人しか通れないような道を体を横にして通ると崖下に出て、そこにお墓があったシーンを憶えていらっしゃるのではないでしょうか。心眼寺のご住職が案内してくださって、子供の頃はこの辺は藪で、隠れんぼをしていたと話していました。真田丸で隠れんぼ。

 大阪明星学園の南沿いの道です。
Sanadamaru16
 ここが真田丸の南限に当たるのでしょうが、痕跡はありません。

 南側は、徳川勢が攻め寄せて、甚大な被害を出した場所なので、特に念入りに破却したのではないかという発言が「ブラタモリ」でありました。そういうことかもしれません。

2016年12月 5日 (月)

真田丸跡をゆく(1)

 大阪出張を利用して真田丸の跡に行ってきました。場所は大阪市天王寺区餌差町。大阪環状線の玉造駅から西へ600m程の地です。

 大阪明星学園高校の塀際に真田丸顕彰碑が建っています。今年の1月に天王寺区役所が建てた石碑です。
Sanadamaru01
 この碑には、元禄年間に描かれた『大坂三郷町絵図』(大阪城天守閣蔵)が掲載されています。必要部分を示します。
Sanadamaru02
 これを見ると、真田丸跡の東側に、南北に寺院が並んでいます。寺名は読みにくいですが、一番北が心眼寺とあります。以下、南に興徳寺、大応寺、伝長寺です。

 現代の地図を示します。
Sanadamaru03
 南北に並ぶお寺、ぴったりですね。

 ということで、現在の大阪明星学園の場所がかつての真田丸の位置であったということになります。ちなみに、現代の地図の北辺附近に「空堀町」という地名が見えます。このあたりが豊臣時代の大坂城の南限、外堀があった場所のようです。

 現地にはこういう案内地図があちらこちらにありました。
Sanadamaru04
 まさに、真田丸は大坂城の南限のさらに外に位置しています。堀は現在は道路になっています。
Sanadamaru05
 明星高校と4つのお寺との間の道です。北からの撮影です。
Sanadamaru06
 向かって右側が明星高校、左側がお寺です。一番手前の石垣のあるところが心眼寺です。

 私が撮影している場所はかなり低いですね。道は南に向かって上り坂になっています。「ブラタモリ」でタモリさんがこの道を通ったとき、良い坂だと言っていました。(^_^)

 明星学園にはこんな壁画が描かれていました。先ほどの顕彰碑のすぐ上です。
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 心眼寺は石段の上にあります。
Sanadamaru08
 門の脇にはこのような石碑が。
Sanadamaru09
 「あれ?」ですね。先ほどの元禄の絵図では、心眼寺等の4つのお寺は真田丸と道を挟んだ東側にあるはずですが、この石碑では、心眼寺も真田丸に含まれることになってしまいます。

 心眼寺の北はこのようになっています。
Sanadamaru10
 高い石塀ではなく、石垣で、心眼寺はこの石垣上にあります。かなり高い場所ですね。この写真の奥左側には明星学園のグランドのネットが見えています。

 さて、どうなんでしょう。心眼寺等の4つの寺院は真田丸の外側なのか内側なのか。

 仮に外側だとすると、これらのお寺の位置は真田丸よりも高台ということになりそうです。真田丸のすぐ近くにこんな高い場所があったのでは防衛上大きな問題ですね。

 つづく。

2016年12月 4日 (日)

祇園夜景

 真田丸跡の探索、記事のまとめに少しかかりますので、少々お待ちください。

 学会前日の金曜日夜に関西に移動したのですが、諸般の事情で、京都駅で降りました。

 で、祇園に行ってきました。

 八坂神社です。もう夜でしたが、ライトアップしていました。
Gion01
 八坂神社の狛犬さん。向かって右側です。
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 こちらは向かって左側。
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 町歩きをしていたら、お店のショーウィンドウにカメラを向けている人がいました。「なんじゃろか?」と思って見たら、「かさ源」という和傘屋さんでした。
Gion04
 柳にツバメですかね。風雅です。

 割烹のお店が並ぶ路地。
Gion05
 京都もいいですね。じっくりと町歩きをしてみたくなりました。

 祇園四条の駅からおけいはんの京阪電車に乗って大阪に向かいました。京阪に乗るの、初めてだと思います。もの珍しかったです。

 もっと見聞を広げねば。

2016年12月 3日 (土)

地下鉄谷町線の真田丸ラッピング列車

 今日明日、大阪樟蔭女子大学で全国大学国語国文学会があり、昨夜遅くから大阪に来ています。

 折しも「真田丸」は大坂の陣。良いタイミングです。(^_^)

 地下鉄谷町線では「真田丸」のラッピング列車が走っているということで、見に行ってきました。ただ、その列車は多分1編成のみと思います。1編成といっても、そのうちの1両のみです。

 さてうまく遭遇できるかと思いましたが、2~3本見送っただけで出会えました。ラッキーです。(^_^)

 こんな感じです。
Tanimachisanada01
 顔の部分のアップ。
Tanimachisanada02
 なんか悲しそうな表情に見えます。右目の下には傷も。夏の陣での姿でしょうかね。

 同じ車両の別の部分。
Tanimachisanada03
 真田丸の跡とおぼしき地にも行ってきました。それはまた後に。

2016年12月 2日 (金)

穴子かさね重

 昨日、東京駅でペンスタに寄ったあと、駅弁屋「祭」に行ったら、このような駅弁がありました。姫路駅のです。この駅弁とは初対面です。
Anagokasane01
 中身です。
Anagokasane02
 表面に焼穴子が見えています。その下にはご飯があります。ご飯を半分ほど掘ると煮穴子が出てきます。焼穴子と煮穴子の二段重ねで、両方の味を楽しめます。

 掘った状態もお目に掛けようかと思いましたが、それはつまり食べかけ状態をご覧に入れることになってしまいます。お見苦しいものをさらすのはいかがかと思い、遠慮しました。(^_^;

 おいしゅうございました。

 この駅弁のタイトル、「かさね」が仮名書きなのは、これを漢字で書いた場合、「穴子重ね重」となってしまい、読みにくいからなのだなぁと、勝手に納得しました。(^_^)

2016年12月 1日 (木)

高崎駅のクリスマス飾り&いちごSuica

 今日の夕方、高崎駅構内でこのような光景を見ました。
Takaxmas2018a
 クリスマス用の飾り物を設置中です。

 このようなキャッチコピーが書かれていました。
Takaxmas2018b
 SLのボディはドラム缶でしょうかね。文字はその場で作業員のお兄さんがサラサラと書き上げたものです。
Takaxmas2018c
 何枚か撮影した写真の中にこのような看板が映り込んでいました。
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 撮影している時には全く気付きませんでした。ううむ。蒟蒻石鹸。 

 そのあと東京に移動しました。高崎駅でクリスマスの飾り物を見て、そういえば今日から12月だなぁと思い、東京駅のペンスタ店長はいかに? ということで、見て来ました。

 店長もクリスマスの衣装かと思ったら、ちょっと違います。赤と緑ではあるのですが……。
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 お店の人に聞いたら、今年はSuicaペンギン誕生から15周年だということで、その語呂合わせで15(いちご)なのだそうです。言われてみれば確かにいちごです。(^_^)

 店頭にはいちご絡みの品があれこれ並んでいました。

 このようなものも。これは売り物ではないのでしょうね。
Suica_ichigo02

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