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2016年11月15日 (火)

伊勢大和まはり名所絵図道のり

 このような絵図を入手しました。江戸後期のものだそうです。ただ、実物ではなく、人文社の複製です。
Iseyamato01
 左上附近が京都、その下が大坂、左下が和歌山、右下が伊勢神宮、右上やや下が名古屋。そして中央付近に奈良があります。

 凡例は以下のようになっています。赤地の○が名所です。
Iseyamato03
 奈良附近を拡大しました。
Iseyamato02_2
 奈良はひときわ大きな赤丸で「名所多し」とあります。そうですね。いちいち書き切れないでしょう。(^_^)

 奈良から南へ長谷に至る道筋には、帯解、丹波市、三輪と続きます。三輪には神社マーク。大神神社ですね。そして三輪の次、読みにくいのですが、「ちをんじ」と読めそうです。今、このあたりに「慈恩寺」という地名がありますね。仮名違いですが、位置的にこれと思われます。

 三輪から南西への道を取り、初瀬川を渡ると桜井。そして、安倍、飛鳥、橘寺、岡寺と続きます。

 橘寺、岡寺といえば、またまた例の道しるべが思い浮かびます。
Kumedera01
 やはりこの両寺は名だたる名所だったのでしょうね。でも、この絵図には神武天皇陵は影も形もありません。あの道しるべ、江戸時代のものとばかり思っていましたが、明治以降のもののように思えてきました。

 安倍から西への道は、八木、高田と続きます。高田付近に神社マーク。この拡大図の中に神社マークは大神神社とこれだけのようですけど、高田附近の著名な神社が何か、思い至りません。

 奈良に戻って、西には尼ヶ辻。その南に「せうだいじ」とあります。先月ご紹介した「明治21年の定宿帳」にも「正大寺」が載っていました。
M21isshin05
 唐招提寺のことなのでしょうが、当時は「しょうだいじ」と呼ばれ、「正大寺」と書かれることもあったのでしょうね。

 複数の史料をつき合わせると、面白さも増加します。(^_^)

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コメント

芭蕉の「笈の小文」に「招提寺」(せうだいじ)が出てきますね。たとへば
http://mukei-r.net/poem-basyou/oino-kobumi.htm

の下の方、「奈良」と補はれた項に見えます。

筒井先生

ご教示ありがとうございます。

お教え頂いたサイトを早速見てきました。

元の表記が漢字か仮名か分かりませんが、確かに「せうだいじ」ですね。

芭蕉の時代もそう呼ばれていたというのは、大変に興味深いことです。

どうもありがとうございました。

確かに慈恩寺でしょうね。

>高田附近の著名な神社が何か・・・

そうですね。実は私は以前高田に暮らしていたのですが、思い付きませんねえ・・・
八木から高田を結ぶラインで考えると石園座多久虫玉神社でしょうかね。
横大路に沿うように、大神神社を龍の頭、当神社を龍の胴、葛城市の長尾神社を龍の尾とする伝承があるそうです。

あとは天神さんぐらいですかね。私は学生の頃、この天神さんのお祭りの行列にバイトで参加し、天狗さんの役を3年続けてやりました。

三友亭主人さん

 かつて高田にお住まいでしたか。その三友亭主人さんにも思い当たるものがないとすると、不審ですね。

 当時は信仰を集めていたけれども、今は廃れてしまった神社とか。

 3つの神社を龍の頭、胴、尾になぞらえるというのは壮大ですね。

 天狗さんの役を3年なさったのですか。三友亭主人さんは上背があるので、迫力のある天狗さんだったことでしょう。(^_^)

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