奈良京大阪経路図
奈良京大阪付近の経路図を入手しました。木版です。江戸時代のものと思います。最近、奈良方面の絵図や経路図への関心が増してきました。ご縁といいましょうか、関心が増すとあれこれ手に入ります。(^_^)
この経路図の収録範囲は、左上に京・大阪、左下に若山(和歌山)、右下に伊勢神宮、右上に津、ということで、先週ご紹介した「伊勢大和まはり名所絵図道のり」とほぼ同じです。
奈良を右上に置いた拡大図を示します。
奈良から左下への道を辿ると、帯解、丹波市、三輪、阿倍、飛鳥、岡寺、橘寺。またまた岡寺・橘寺のコンビです。
その先は、Uターンするように、当麻、当麻寺、龍田、法隆寺、小泉。
同じ「当麻」なのに、当麻は「たへま」、当麻寺は「たゐま寺」となっているのが不思議です。
小泉の先は、郡山、西の京、と来て、次がまたまた「正大寺」です。これが標準表記のようですね。
江戸・明治の地図や道中記を見慣れた人には常識なのかもしれませんが、今までほとんど見たことのなかった私にはもの珍しく、興味深いことです。
全体図に戻って、左端に御定宿として京都六角堂前のちくぜんやの名が記されています。この旅籠が作成した地図でしょうか。あるいは、この部分の旅籠の名を差し替えればどこの旅籠でも使えますので、そのような性格のものなのかもしれませんね。
大阪の表記が現代と同じく「大阪」となっています。この地名表記については、江戸時代までは「大坂」と書かれていたのが、明治になってから、「土に反(かえ)る」というのは縁起が悪いというので、「大阪」と改められた、と理解していましたが、どうなのでしょうね。
この絵図は明治以降のものと考えるべきなのか、あるいは江戸時代にも「大阪」という表記はすでにあったのか。
あれこれ興味は尽きません。(^_^)
あ、六角堂、1回だけ行ったことがありました。
高いところから見えるようになっていました。
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>関心が増すとあれこれ手に入ります。
いやあ、本当にどんどん増えていますねえ・・・これから、こっちのほうにも研究の手を伸ばさなければ・・・
投稿: 三友亭主人 | 2016年11月23日 (水) 07時59分
三友亭主人さん
いやぁ、増殖しつつあります。(^_^;
1つだけ見ていたのでは分からなくても、同種同類のものを集めて比べると、何か見えてくる(ことがある)という思いがあって、つい集めてしまいます。(^_^)
何か見えてくると良いのですが。
投稿: 玉村の源さん | 2016年11月23日 (水) 11時26分