地下の正倉院展
平城宮跡資料館で下のような特別展が開催されます。
このチラシは、館員でありかつ萬葉学会の会員でもあるIさんが先日の萬葉学会に参加していて、そのIさんからいただきました。
木簡はまさに地下の正倉院宝物ですね。
3期に分けて展示替えをするようですが、木簡はあまり光に当ててはいけないのでしょうね。
先日報道され、まほろばでも「平城京にペルシャ人の官人?」というタイトルでご紹介した木簡は第2期に展示されるそうです。
ただあの木簡、赤外線でないと文字は読めないのですよね。
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このチラシをいただいたとき、桜井市の埋蔵文化センターが
「50センチ下の桜井市」という企画をしていたのを思い出しました。
http://www.sakurai-maibun.nara.jp/tenji/sokuhou.html
いただいた時点ではもう終わっちゃっていたんですけどね。
まあ、桜井で出てくるのは、万葉よりはるか以前・・・ですよね。文字資料は期待薄でしょうが、それはそれで興味深いんです。
投稿: 三友亭主人 | 2016年10月15日 (土) 07時17分
三友亭主人さん
あ、この企画、惜しいタイミングでしたね。
桜井は纏向遺跡をはじめ、貴重な遺跡が多いですよね。
木簡の出土例は7世紀後半くらいからでしょうか? 3~4世紀となると、それよりも大分前ですね。でも、邪馬台国と魏の国とが文書をやり取りしていたとするとそれは紙だったんでしょうかね。木簡や竹簡の可能性もありそうに思えます。
そういう木簡や、その下書き木簡などが発掘されたら邪馬台国の在り処は決まりですね。(^_^)
投稿: 玉村の源さん | 2016年10月15日 (土) 12時52分