沢渡の万葉歌碑&『上毛温泉廻』
群馬県中之条町の沢渡神社の境内に万葉歌碑があります。
石段の脇に建っているのがその歌碑で、近くに解説板があります。
万葉歌碑。彫られているのは未勘国東歌の「左和多里の手児にい行き逢ひ赤駒が足掻きを速み言問はず来ぬ」(三五四〇)です。
解説板の文章は以下の通りです。
後半部をアップで示します。
この万葉歌には、「左和多里」という地名が読み込まれていますが、これが沢渡温泉の「沢渡」であるとは断定できず、従って、この歌も上野国の東歌かどうかは分かりません。それでも、こういった場合、多くの解説板ではその地であると決めてかかっている場合が多いのですが、この解説板には「左和多里が沢渡温泉の地であると断定できないが」とあって、好感が持てます。(^_^)
この解説板によれば、この歌碑のことは『上毛温泉週』という文献に見えるということで、江戸時代にはすでにこの歌碑が建てられていたらしいことが分かります。ただ、年代が、後ろから3行目には「文化十一年」とあり、次行には「文政十一年」とあって、矛盾します。文化か文政のどちらかが誤りなのでしょう。
群馬県内の万葉歌碑で年代の分かっている最古のものは佐野の舟橋の歌碑で、文政十年(1827)の建立です。
沢渡の万葉歌碑の年代を考える上でも、この『上毛温泉週』という文献を是非実見したいものと思いつつも、この文献の所在が分からず、実見することは叶いませんでした。
以上が数年前の状況です。
ところが、最近になってこの文献が『上毛及上毛人』という雑誌の11号(大正6年7月)と12号(同8月)とに分載されていることを知りました。この雑誌は合冊製本された複製が出ていて、それは勤務先の図書館に所蔵されています。灯台もと暗しです。(^_^;
当該ページはこんな感じです。書名は『上毛温泉週』ではなく、『上毛温泉廻』でした。
当該箇所は以下の通りです。
歌碑の所在は「薬師のみ堂」とあります。現在の所在は沢渡神社ですので、同じものかどうか疑問は残ります。
この文献の成立年代は、末尾に次のようにあります。
正解は文化ではなくて文政でした。「九月ついたちの日」というのはこの記録を書き上げた日付です。この文献の著者が沢渡で万葉歌碑を見たのは、記事によれば8月12日のことです。沢渡温泉の解説板、結構不正確でした。(^_^;
この文献、当時の群馬県の温泉のことがいくつも載っていて興味深いです。
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