明治21年の定宿帳
以前、当ブログで、明治の定宿帳「文明講」、「真誠講」、「一新講」をご紹介しました。このたび、またまた同じようなものを入手しました。なんか、興味をもってしまって。(^_^)
今回のは明治21年のものです。表紙に朱印がたくさん捺してあります。
裏表紙にも。
これは、この帳面の持ち主が泊まった旅館のハンコです。さしづめ御朱印帳の旅館版という感じですね。行き先は伊勢神宮だったようです。
この帳面、東京から伊勢神宮までがメインです。2月に訪れて大いに関心を持った二川宿も載っています。
さらに興味を覚えたのは、伊勢で終わりではなく、奈良への道中も載っていたことです。
榛原、長谷、三輪、柳本、丹波市、櫟本、帯解を経て、奈良に到ります。榛原には山部赤人の古跡あり、柳本には崇神陵、丹波市には内山永久寺、櫟本には在原業平誕生地あり、などと名所の注記もあります。
奈良は、春日神社、三笠山、大仏、南円堂、猿沢池が載っています。長谷と三輪とにも絵が描いてあります。長谷寺と三輪山(大神神社)ですね。
次のページには、奈良の西部から南西部の寺社が載っています。
上段の左から2つ目「法立寺」とあるのは、竜田の前にあるという位置関係からみて、法隆寺でしょうね。となると、真ん中へん「西の京」の右隣にある「正大寺」というのはもしかすると「しょうだいじ」と読んで、唐招提寺でしょうか?
次のページです。
上段、右から3つ目に当麻があり、高田、今井ときて、次が神武天皇陵。このあと橘寺、岡寺と続きます。
神武天皇陵、橘寺、岡寺といえば、先日来、知恵を絞ってきた久米寺前の道標に刻んであった名所です。
思わぬところで繋がってしまいました。
あの3ヶ所、当時は今以上に名だたる名所だったのでしょうね。さてこの中で、橘寺と岡寺は昔からの名所だったかもしれませんけど、神武天皇陵はどうでしょう。注目されるのは明治以降のような気もします。例の道標も、ひょっとしたら江戸時代のものではなく、明治以降に下るかもしれませんね。
なんか面白いです。昔のものを見てあれこれ考えるのは楽しい。
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全く関係なかったかのような知識と知識とが、ある時ふっとつながってしまう。
なんか楽しいですねえ・・・
ところで、今回の資料の道筋、興味津々です。
今ではさほど名所とは言えない場所でも、当時は他国の人の興味を引いていたんでしょうかねえ・・・
投稿: 三友亭主人 | 2016年10月29日 (土) 19時34分
三友亭主人さん
ほんと楽しいです。♪
おっしゃるように、全く関連づけて考えていなかったものが繋がった喜びって、たまりません。(^_^)
こういうことがあるので、ネットオークションにますますのめり込んでしまいます。(^_^;
時代によって、人々の関心の在り処が変わっていそうなのも面白いですね。
比べることでまた面白いことが見えてきますよね。
奈良の町にある3つの宿屋の所在地が、今御門丁、たるい丁ってありますけど、今も猿沢池の西に樽井町、南に今御門町がありますよね。こういうのも楽しいです。地名は大切。
投稿: 玉村の源さん | 2016年10月29日 (土) 20時34分