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2016年8月25日 (木)

昔の渋谷の絵地図

 「「ハチ公のみた渋谷」展」という図録を入手しました。
Hachi_shibuya
 これは、白根記念渋谷区郷土博物館・文学館が平成17年の7月10日から9月11日まで開催した開館記念特別展の図録です。この博物館・文学館のことは知りませんでした。書いてあった住所を頼りに地図で探してみましたら、國學院大學のすぐ近くでした。

 なぜこのような図録を買ったのかというと、ハチ公が好きだから。(^_^)

 内容は、明治18年の渋谷駅開業から戦後までの渋谷駅周辺の歴史です。ハチ公のことももちろん載っています。

 この中に、大正から昭和初め頃にかけての地図が載っていました。大岡昇平の『幼年』における記述をもとに作成したとのことです。転載してはまずいのかもしれませんが……。
Shibuya_taisho
 画面中央付近にある「大岡宅」というのが大岡昇平の家ですね。竹久夢二の家がすぐ近くにあります。

 見慣れている地図と違って上が南なので、ちょっと頭がごちゃごちゃします。(^_^;

 今はなき玉電の線路が描いてあるのが懐かしいです。甘栗太郎もあります。大盛堂もありますけど、「本のデパート大盛堂」の開業は戦後のようですので、これは違う店なのかもしれません。でも、場所は同じ感じです。何か関係はあるのかもしれませんね。

 渋谷川や宇田川は今は暗渠になってしまいましたか。「ブラタモリ」です。

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コメント

 おもしろいものを入手されましたね。

 パソコンをひっくり返すとよくわかりますが、駒場通りから大向通りにかけては、文化村通りで、大向小学校は今の東急本店に当たります。

 練兵場通りは、ファイヤーストリートでしょうか。

 竹久夢二の家から生民軒牛乳屋への道は井の頭通りでしょう。

 衛成監獄は、今の渋谷区役所近辺だと思います。

 練兵場は、言わずと知れたNHK、代々木公園ですね。当時は狐が出没したそうです。

 渋谷川があったことは知っていましたが、宇田川という川もあったことは初めて知りました。
 位置的にいって、渋谷センター街あたりではないかと思いますが、どうでしょうね。


 練兵場通り、JRをまたぐように伸びている方が、今のファイヤーストリートの根元ですね。

 宇野浩二の家の方に伸びているのは、公園通りのようです。

朝倉山のオニさん

 コメントをありがとうございます。

 ハチ公目当てで買った図録ですが、意外な副産物があって嬉しいです。(^_^)

 オニさん、さすがにお詳しいですね。

 この地図、方角が通常の地図とは180度違っているのですが、渋谷駅のハチ公口から外に出て、大盛堂方面に行く時の感覚では90度のズレのように思えて、なおさら混乱します。(^_^;

 大向小学校が東急本店ですか。なるほど、そういわれれば道が二股になっているところに当たりますね。道は基本的に本当に変わらないなぁと思います。

 練兵場がNHKですね。昔はよく行きました。放送センターの見学者コース。「天下御免」「新平家物語」札幌オリンピックの頃です。(^_^;

 宇田川という川、私も初めて知りました。埋めちゃったわけではなく、多分暗渠になっているのでしょうね。宇田川町という町名の由来の川でしょうね。

 当ブログ、「地図」というカテゴリーは立てていませんでしたが、結構地図の話題、書いていますね。立ててしまおうと思います。ただ、そうなると、全部見直さないといけません。(^_^; いずれそのうち。

朝倉山のオニさん

 追加コメントをありがとうございます。

 なるほど。

 といっても、実はファイヤーストリート、存じません。(^_^; 公園通りは分かります。(^_^)

 練兵場通りは途中で二股になっていますが、そこは今の丸井だと思います。

 ファイヤーストリートは、渋谷駅を後ろにして丸井を左手に見る道のことです。電力館に通じる道です。
 この地図にあるのは、その根元の部分です。今は線路沿いに原宿まで続いています。

 消防署があるのでそう呼ばれているのだと思います。

朝倉山のオニさん

 なるほど。丸井、分かります。二股になっているところにありますものね。東急本店といい、丸井といい、そういう立地は分かりやすいですね。

 ファイヤーストリートも了解です。名前を聞くの初めてでした。消防署があるからというのも納得です。

 衛成監獄とはなんだろうと思い、検索をかけてみましたら、「衛成」ではなくて「衛戍」のようです。
 小さくてよく見えないのですが(老眼なので)、誤植でしょうか。

 旧日本陸軍が恒久的に駐屯する場所を「衛戍エイジュ」といったようで、そこに設置された陸軍の監獄だそうです。
 1922年に陸軍刑務所に改称されたとのことです。

朝倉山のオニさん

 はい。この地図には確かに「衛成」とあります。「衛戍」の誤植ですね。

 かのATOKでも「衛戍」は変換候補の中にありませんでした。もう死語の世界に行っちゃった言葉ですかね。

 私も「衛戍」という言葉は使ったことがありませんが、「衛戍病院」という語は聞いたことがあります。

 図録に載っていたこの地図、かなり小さいです。パソコンのディスプレイの大きさにも依りますけど、ディスプレイ上の方が大きいかもしれません。(^_^)

 もうひとつ、大盛堂ですが、昔あった「本のデパート大盛堂」とは違う位置ですね。
 むしろ、今の「大盛堂書店」に近い場所のような気がします。(センター街の入り口)

 「本のデパート」は、練兵場通りに面した、鈴井薬局の並びのあたりにあたるのではないかと思います。

朝倉山のオニさん

 ううむ。

 私、やっぱり、部分的に90度感覚が狂っています。(^_^;

 地図に「練兵場通り」と書いてある「り」のあたりの二股に丸井があるとすると、「大盛堂」と書いてある文字のすぐ下の道が西武のA館とB館との間の道になりますかね。あるいはその1本下の「竹種」と書いてある道か。

 本のデパート大盛堂は西武の向かいにありましたから、おっしゃるとおりですね。

 憲兵分隊のすぐ下の三角形のところが109ですよね。

 頭を90度修正せねばです。おかげ様でかなり修正できてきました。(^_^;

 憲兵分隊のすぐ下の三角形のところは、109だと思います。

 地図の縮尺や道の曲がり具合などが正確ではないので確信はありませんが、竹種と書いてあるところが西武デパートのB館のような気がします。

 練兵場通り(公園通り)と井の頭通りを結ぶ短くて細い道、つまり竹種と柴田君の家の間の道は、ロフトに行くときに使う道ではないかと。

朝倉山のオニさん

 たびたびありがとうございます。

 だいぶ理解できてきました。(^_^)

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