233年前の浅間山大噴火時に恩、熊本へ義援金
今日のアサヒコム群馬に、標記のような記事が載っていました。
天明3年(1783)の浅間山の大噴火の折、浅間山麓にあった鎌原村(現・嬬恋村鎌原地区)が壊滅的な被害を受けました。復旧工事の費用の大半は、幕府の命で肥後熊本の細川家が負担することになったそうです。なぜ細川家なのかは不明ながら、54万石の大藩だったことと、阿蘇山を抱えて火山災害に理解があったためともいわれているとのことです。
しかし、当時、細川家の財政も厳しく、領内から寄付を募ったところ、武士、農民、商人ら約1万3500人もの人が拠出に応じたそうです。
それから230余年。今年の熊本地震に際し、鎌原地区の住民の間から、「ご先祖がお世話になったお返しがしたい」との声があがり、募金が始まったそうです。そして、集まったお金は、「熊本のみなさんの尊いご恩を忘れずにいます」という手紙を添えて、大きな被害を受けた熊本県南阿蘇村に届けたそうです。
南阿蘇村の長野敏也村長は「230年余りも前のことを記憶にとどめ、義援金まで贈っていただいた。嬬恋村と鎌原地区のみなさんの優しさをつくづく感じています」と話している、とのことです。
良い話です。泣きそう。
浅間の噴火に際して熊本のお世話になったことは全く知りませんでした。こういうこと、知っておくべきことと思います。
写真は、平成19年に勤務先で開講された県民公開授業「群馬のことばと文化」における松島榮治氏の「天明の浅間焼けとその社会的影響について」の様子です。背後の写真は、観音堂への石段から発掘された被災者です。
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