西河原森ノ内遺跡木簡の釈文
先日アップした「西河原森ノ内遺跡木簡」に筒井先生からコメントを頂きました。そちらにコメントを付けるべきところですが、コメントでは画像を貼れませんので、新規記事とします。
筒井先生からのコメントは以下の通りです。
>表紙の寫眞の木簡が複製とすれば、どの程度精確に摸寫されてゐるか不明ですから、釋文を穿鑿しても詮無いことですが、
>字面だけからの判斷ながら私には相當に無理な釋文に見えます。右の表面の簡は、
>椋□□之我□□稻者馬□傳故我者反來之故是汝卜部
>とするほかないやうに思ひました。
あの複製は今まで見たことがなく、これまではかなり不鮮明な画像を見るしかありませんでした。それで、公的機関が公表した釈文に頼っていました。既発表の複数の釈文にはほとんど揺れがなく、2字目のみ「直」ないし「首」とされているくらいでした。
それで、安易に従来の釈文に依ってしまったのですが、ご指摘を受けてじっくり見てみますに、確かに疑問がありますね。
2字目・3字目「□(直ないし首)傳」と読まれていた箇所は次の通りです。左から順に、現物、赤外線写真、複製です。以前アップした図録に依りました。
3字目はちょうど折損箇所に当たっていて、判読はかなり困難です。
6字目・7字目「持往」と読まれていた箇所は次の通りです。
これまた2字ともに折損箇所に当たっています。
11字目・12字目「不得」と読まれていた箇所です。
11字目は「不」で行けそうな気がします。12字目はどうでしょうか。複製は、赤外線写真と比べて、ツクリの部分の上部がかなり異なる気がします。この部分もまた痛みのある部分ではありますけど、どうなのでしょうね。←存在しない画を補っているようにも見えますが。
筒井先生ありがとうございました。
この釈文、虚心坦懐に見直しが必要と考えます。
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現物および赤外線寫眞を見ての、字面から判讀しうる候補を擧げておきます。
2字目は「直」はありえず、「首」または「百」、3字目は「傳」の草體か。6字目は「牆」または「播」に、7字目は「味」に近い字形(旁の下部が左右に長く、左拂ひ右拂ひの連續に見える)。11字目は「不」としては第三畫の縱画が短い氣もします。12字目は「傳」でないことは明らかとして、偏は人偏か行人偏に見え、旁は赤外線寫眞では上層中層下層の三層構造に見える。「得」とするのは第二層が「一」ではないので無理。
書を學ぶ者としての見解です。X線などの科學的照射によるさらなる可視化と國史學國語學等からの再檢討がなされると好いですね。
投稿: 筒井茂徳 | 2016年8月 1日 (月) 10時48分
現物、赤外線寫眞、複製を並べていただいた御蔭で、複製の摸寫がかなり當てにならないことが分りました。とすると、個人的には10字目の「馬」とされてゐた字が氣になつてきました(複製ではたしかに「馬」ですが)。現物、赤外線寫眞での10字目は、御覽になつて「馬」として行けさうでせうか。
投稿: 筒井茂徳 | 2016年8月 1日 (月) 13時10分
筒井先生
ご見解をお示しくださいましてありがとうございます。
この木簡、山上碑と並んで、日本語の字順で文を綴った現存最古級の木簡として貴重ですが、それだけに釈文をきちんと確定する必要がありますね。
オモテ面の後半から裏面全体の釈文は従来通りでよいとすれば、不確定な文字はわずか。何とか明らかにしたいものと思います。
どうもありがとうございました。
投稿: 玉村の源さん | 2016年8月 1日 (月) 13時22分
筒井先生
10文字目はかなり不鮮明です。これも画像を貼れないので、新規記事を立てます。
http://mahoroba3.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-7c7a.html
投稿: 玉村の源さん | 2016年8月 1日 (月) 13時38分