群馬の遺跡で奈良時代の三彩の壺発見
NHKのNEWS WEBによれば、群馬県東吾妻町の遺跡で昨年発掘された大型の壺についての説明会が今日開かれたとのことです。
それを見て、「あ、これか」と思いました。というのは、昨日県庁にぐんまちゃんポーチを探しに行った時に、県民センターで、次のチラシを見つけたからです。
ここに並んでいる中の3番目がこれですね。
他にも、金井下新田遺跡(例のよろい人と関係のありそうな遺跡です)についての説明や沼田城跡の説明などもあって、心惹かれました。でも、残念ながら、今日は午後、都内で打合せが入っていましたので、参加できませんでした。
ちょっと残念。
しかし、東吾妻町というと、「真田丸」にも登場する岩櫃城のある場所です。奈良時代にそんな山間地域にもこういう文化が及んでいたのですね。それはすごいことだと思いました。
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> しかし、東吾妻町というと・・・
ちょいと地図で調べてみました。
本当に、なんでまたこんな場所にって感じですね。
それだけ朝廷の文化の波及力が強かった・・・ということでしょうか・・・
投稿: 三友亭主人 | 2016年6月12日 (日) 07時21分
三友亭主人さん
ほんと、不思議な気がします。
信州から上州へ到るメインルートは碓氷峠を越える東山道ですが、岩櫃城のあたりも信州上田から真田を通って沼田に到るルート上にありますので、それなりに人の往来はあったのかもしれません。
古代群馬のこと、分からないことがまだまだたくさん。
投稿: 玉村の源さん | 2016年6月12日 (日) 13時29分