前橋の厳島神社(人丸神社)
前橋に人丸神社があり、その境内に万葉歌碑があると聞きましたので、先週の金曜日、仕事で前橋に行ったついでに早速寄ってきました。場所は前橋市役所の南に位置する紅雲町です。
鳥居と社殿です。狛犬も写っていますが、裏にまわってみたところ、年紀が入っていて、昭和41年のものでした。
解説板です。
この神社の祭神市杵島比売命は宗像三女神の一であることから、海の神、航海の神と思っていましたので、その神を祀る神社が海なし県の群馬にあることを不思議に思いました。海に限らず、水の神と考えれば良いのでしょうかね。
解説板の続きです。
ここには境内にある万葉歌碑のことが書かれています。
その歌碑の写真です。
神社の解説によれば、この歌碑のことは天保12年(1841年)の『赤城登山記』に見えるそうです。『赤城登山記』にどう書いてあるのか確認しようとしましたが、この文献のことは日本古典籍総合目録データベースで検索できませんでした。
群馬県内の万葉歌碑としては、佐野の舟橋の碑が文政10年(1827年)の建碑、沢渡神社の万葉歌碑が文政11年(1828年)以前の建碑ということで、この2基が古いのですが、厳島神社の歌碑もそれらと並ぶ古さがあるかもしれません。
さて、この歌碑に刻まれている万葉歌ですが、この歌は万葉集に見えません。ただ、初句のみが異なる歌ならば「青山の石垣沼(いはかきぬま)の水隠(みこも)りに恋ひや渡らむ逢ふよしをなみ」(巻11・2707)というのがあります。作者不明歌です。
歌碑では、初句が「おくやまの」となっています。
『校本万葉集』では原文「青山之」に異同はなく、異訓もありません。江戸時代の流布本というべき寛永版本も略解も同様です。
「はて?」と思いましたが、『国歌大観』を検索したら、歌碑と同じ歌が拾遺集(巻11・661番)に人まろ作として収められていました。本来は万葉集に収められていた歌が、初句の「あおやまの」が「おくやまの」と変わって拾遺集に再撰されたということでしょう。
とすれば、厳島神社にある歌碑は万葉歌碑ではなく、拾遺歌碑と言うべきものとなりましょう。
この神社は「人丸さま」とも呼ばれているということですが、境内の流しにあったバケツには「人丸神社」と書いてありました。地元ではこの呼び名の方が通りが良いのかもしれませんね。
神社の解説板の2枚目に、この歌碑に見える「岩垣沼」は赤城の大沼だともいわれているとありますが、どうしてこういう何の根拠もないことを書くのか。
この歌のどこからそう読めるのか、人麻呂は(万葉集では作者不明ですが)赤城の大沼を知っていたのか、万葉集の巻11・12には畿内近国の恋の歌が収められているとされているが、それに異を唱えるだけの根拠があるのか。
地元びいきというか、身びいきというか、そうであったらいいなという願望で書いてはいけません。
「ともいわれ」という書き方は、なんとも無責任です。
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