「真誠講」の秋葉道
4月4日(月)にアップした「真誠講」に頂いた萩さんからのコメントに関連して、「真誠講」に載っている秋葉道の経路をご紹介します。
秋葉道は東海道五十三次の掛川から分岐します。
次のページです。
上に出てきた地名を地図上で赤い四角で囲んでみました。
掛川から分岐して、秋葉山、鳳来寺を経由して豊川に至ります。豊川からは御油に出ます。
秋葉神社に行かない人もいるでしょうから、「真誠講」では豊川に出た後、また日坂、掛川に戻って東海道を辿っています。
秋葉神社に行く人が増えると、浜松や、二川、吉田は宿泊客が減ってしまいますね。(^_^;
« 「踊る埴輪?」シール | トップページ | 水槽のライト更新 »
「史料・資料」カテゴリの記事
- 大正2年の『尋常小学読本』に「虎ト猫」(2025.10.21)
- 明治43年『尋常小学修身書』の松平定信(2025.10.20)
- 「夏休ミ善行一覧表」(2025.10.05)
- 大正13年にメートル法実施(2025.09.19)
- 大正13年の「メートル双六」(2025.09.18)
「歴史」カテゴリの記事
- 明治43年『尋常小学修身書』の松平定信(2025.10.20)
- 「新町文化財マップ」(2025.10.18)
- 大正13年にメートル法実施(2025.09.19)
- 昨日の「ブラタモリ」は「東京大学の宝」(個人的には史料編纂所)(2025.08.31)
- 『ならら』最新号の特集は「戦後80年-戦争と奈良-」(2025.07.30)


秋葉道の紹介,ありがとうございます。
三遠南信のことに興味が出てきましたので,秋葉街道も歩いてみたいなあと思いましたが,
源さんの地図を見ると,秋葉山に▲印がついているので,ずいぶん山深そうです。
ちょっと歩くのは無理かなと思いました。
投稿: 萩さん | 2016年4月11日 (月) 14時16分
萩さん
はい。等高線のある地図で見ると、かなり険しい山ではないかと思いました。
にも拘らず、「真誠講」を見ると、道中結構たくさんのお休み処や宿屋があったことが分かります。かなりの数の人が秋葉山に参詣したのでしょうね。目的は防火ですかね。
投稿: 玉村の源さん | 2016年4月11日 (月) 21時10分
秋葉街道の遠州に入ってからのルートや別所街道・遠州道辺りを調べています。非常に良くまとめられた記事で助かります!ありがとうございます。
ところで、豊川の後なのですが、日坂、掛川となってますが、順番で言うと掛川の先に日坂があるのですが、何でですかね?
投稿: ほまれか | 2025年3月25日 (火) 07時05分
ほまれかさん
コメントをありがとうございます。
お役に立てばこちらも嬉しいです。
この道中記では、1枚目の画像で、東海道を、日坂→掛川と進んで、そこから分岐して秋葉道を辿ります。
秋葉道は豊川でゴールとなります。
そこで、また東海道に戻って、日坂→掛川から袋井→見附と進んで行きます。
2枚目の画像の日坂と掛川は1枚目の画像と完全に重複していますが、あえて重複することで、東海道に戻って本街道を進むことがよりわかり易く示されているのではないでしょうか。
投稿: 玉村の源さん | 2025年3月25日 (火) 07時19分
なるほど。ありがとうございます。
日坂→掛川、さらに袋井→見附ですね!
投稿: ほまれか | 2025年3月25日 (火) 09時31分
ほまれかさん
コメントをありがとうございます。
はい。たぶん正解と思います。
投稿: 玉村の源さん | 2025年3月25日 (火) 14時38分
コメント欄で「真誠講」の秋葉道があったので読み返してみると,2016年4月。
9年も前の記事なんですね。
すっかり忘れていました。
地図の,気賀宿~二俣,森町~掛川は,昨年の天浜線ウォークの際に歩いています。
二俣~森町も地図の経路とは違いますが,歩きました。
秋葉神社までは難しいですが,挑戦してみたい気もします。
10年若かったらなあ!!
投稿: 萩さん | 2025年3月28日 (金) 07時40分
萩さん
コメントをありがとうございます。
単発の記事はなかなか記憶にとどまらないですよね。
こんなふうに、昔の記事にコメントの付くことはとても嬉しく、ありがたいことです。
秋葉道はやはりかなり険しいのでしょうね。
道が険しい方がありがたいということもあるかもしれませんね。
投稿: 玉村の源さん | 2025年3月28日 (金) 19時39分