文明講
先日アップした「二川宿をゆく(4)旅籠清明屋」の記事で、この旅籠に掲げられていた講札の写真を載せました。
「講」といえば、しばらく前に「文明講」という印刷物をネットオークションで入手していました。明治7年のものです。
表紙の左下に、穴あき銭に「岡崎」「銭屋」と書いた印が捺してあります。上には「河合」の印があります。
中身はこんな感じです。
各駅ごとに旅籠の名前が1~2軒書いてあります。これらの旅籠がこの講の提携旅館なのでしょう。「文明講」という名の「文明」というのは「文明開化」にちなんだものと思います。新時代の「講」という趣旨ではないでしょうか。
江戸時代だったら「○○宿」とあったであろうところが、「○○駅」とあります。文明開化の時代ですね。
このページの左端に岡崎駅があり、そこに確かに「泊 せにや評四郎」とあって、「河合」の印が捺してあります。この冊子はこの旅籠が扱ったものなのでしょう。
このページの右見開きに二川駅が載っています。
二川駅の項には、「泊 松坂や権一郎」「休 よろつや助左衛門」とあります。
先日、二川宿本陣資料館で見た町割復元図に松坂屋は載っていました。脇本陣ですね。
「萬屋」は載っていませんでした。新しい旅籠なのでしょうか。それとも「泊」ではなく「休」とありますので、旅籠ではないのかもしれません。
たまたま入手していた「文明講」と、行ったばかりの二川宿とが結びつき、なんとなく嬉しいです。(^_^)
この「文明講」、東京を出発して、品川駅、川崎駅、神奈川駅……と進んで、京都、大坂がゴール。そして、そのうしろに、四日市駅追分から上野、津……と進んで、伊勢神宮がもう1つのゴールです。
« 深窓の令猫2 | トップページ | ぐんまちゃんの煎餅、袋更新 »
「史料・資料」カテゴリの記事
- 明治37年の「因幡の兎」(2025.01.19)
- 「ハナ ハト マメ マス」(2025.01.15)
- 長音表記&リンコルン(2025.01.14)
- 広瀬中佐の評価は(2024.11.24)
- 老農船津伝次平(2024.11.23)
いやあ,驚き。
ここまでくると,源さんの収集能力のすごさが分かります。
二川宿と文明講が結びつきました。
二川宿では脇本陣の松坂屋が引き続き営業していたのでしょうね。
ところで,吉田宿は豊橋駅になっています。
廃藩置県のときに,吉田の地名は伊予の吉田と重なるということで
あっさり替えられることになるのです。
理由は,豊川に架かる大きな橋があったから・・・。
投稿: 萩さん | 2016年3月 7日 (月) 22時55分
萩さん
興味のおもむくままに、あれやこれや買い求めているネットオークションですので、ごくたまにでも、こんな風にヒットすると、とても嬉しいです。(^_^)
豊橋という地名は、明治維新後に生まれたものでしたか。
なかなか油断なりませんね。(^_^;)
地名は面白いです。(^_^)
投稿: 玉村の源さん | 2016年3月 8日 (火) 00時08分