神流川古戦場碑と軍配山古墳
今日の「真田丸」の冒頭、ほぼナレーションだけでしたけど、神流川(かんながわ)合戦が登場しました。上野国に攻め寄せた北条軍と、これを迎え撃った滝川一益軍との合戦です。
大敗を喫した滝川軍は上野国から撤退して行くことになります。
その古戦場碑が新町にあります。
碑の傍らに立つ解説です。
また、玉村には、滝川一益が本陣を置いたという軍配山古墳があります。
この古墳は、4世紀末の築造とされる円墳です。負け戦は、古墳の上に本陣を置いたバチですかね。(^_^;
もと御幣山(ごへいやま)と呼ばれていたそうですが、滝川が本陣を置いたので軍配山と呼ばれるようになったとか。30年前、私が玉村に来た頃、地元の古老の中には「ごんべやま」と呼ぶ人もいると聞いたことがありました。「ごへいやま→ごんべやま」「ぐんぱいやま→ごんべやま」どちらもありそうに思います。
諸々の位置関係を示す略図を載せます。
今回のテーマとは無関係ながら、当ブログに登場したことのある場所もいくつかご参考までに載せました。
岩倉橋は、うちの卒業生が火野正平さんに出した手紙に登場する橋で、この橋のすぐ東がコハクチョウの飛来地です。また、行在所公園というのが雛まつりのメイン会場です。明治天皇の巡幸の折の宿舎が保存されています。立地はまさに旧中山道沿いです。
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古戦場ですか・・・大和は戦国時代に関していえば残るようなものはありませんね。松永久秀の信貴山城の戦いぐらいでしょうか・・・
でも遡ればありますよ・・・私の家のそばだって箸墓の戦いが・・・(笑)
>古墳の上に本陣を置いたバチですかね。
大和の古墳も、高射砲の台座として上部が削られてしまったものがいくつかあります。本当に罰当たりですなあ。
そういえば箸墓だって・・・明治の初めまでは上街道を行き来する人のための茶屋があったのだとか・・・去年だったか一昨年だったか・・・明治初年の箸墓の写真が新聞で紹介されていましたよね・・・そこには四阿のようなものが見えていましたが・・・
投稿: 三友亭主人 | 2016年2月22日 (月) 21時08分
三友亭主人さん
おお! 箸墓の戦い。(^_^; これは古いですね。壬申の乱の折でしたっけ。
その次は南都焼き打ちでしょうかね。合戦かどうかはちょっと微妙かもしれませんけど。
古墳は格好の高地なので、いざとなったらあれこれに使われてしまうのですね。
箸墓にも茶屋が建てられていた時代があったのですね。宮内省の管理下に置かれるとがらっと変わりますね。
投稿: 玉村の源さん | 2016年2月22日 (月) 21時55分