今日の浅間山&侮れない「真田丸」
昨日も今日も良い天気でした。通勤途上、浅間山がきれいに見えました。
浅間山といえば、「真田丸」の第1回に次のようなシーンがありました。
真田昌幸が、「富士や浅間の山が火でも噴かぬ限り、武田のお家は安泰にございます。」と発言した次の画面で、浅間山が噴火。(^_^)
ギャグのようです。(^_^;
でも、これ史実なんですよね。
武田氏滅亡の年に浅間山が噴火したことは全く知らなかったのですが、第1回放送のほんの数日前に読んだ雑誌に書いてありました。それで、番組で昌幸の発言を聞いた時に、「もしや」と思ったら、案の定、次のシーンが浅間の噴火でした。(^_^) なんか嬉しかったです。
雑誌の記事を鵜呑みにしてしまうのは危ないので、確認してみました。『多聞院日記』に次のような記事がありました。
一、今夜初夜ノ時分、丑寅ノ方大ヤケ也。何トモ不見分、三十三間焼了。(天正10年2月14日条)
この時点では「大ヤケ」の原因は分かりません。
この後、3月11日に武田勝頼が自害します。そして、
一、甲州悉落居了。去十六日ニ前右府ヘ、四郎殿(勝頼)父子首并典厩ノ首到来了。……(天正10年3月23日条)
とあり、同日条に、
一、先段天ノ雲ヤケト見タルハ、信州アサマノタケノ焼タル也。昔モ甲州・信州以下破ルヽ時ハ焼了間、今度ノ浅間ノ嶽ノ焼ルハ、東国ノ物怖也ト古キ老人語ト此間沙汰アリシトノ不思儀ノ事也。(同)
とあります。
織田信忠が岐阜城を発したのが2月12日。その2日後に浅間山が噴火したのですから、浅間の噴火を凶兆と信じていた人々はさぞ動揺したことでしょうね。
「真田丸」では、浅間の噴火が史実だというナレーションなどは全くありませんでした。ギャグだと思われても別に構わないということなのでしょうね。それもなかなか結構です。(^_^)
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