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2015年12月14日 (月)

磯部温泉のこと(2)

 土曜日の群馬学連続シンポジウムに関連して、昨日、「磯部温泉のこと」という記事をアップしました。

 その記事の後半で、吾妻鏡の記事として「磯部村此所に塩の湧き出る所あり」という文がネット上に流布しているけれども、この文は吾妻鏡に見出せないということを書きました。

 この件について、幻の条文の出所と思われるものを源さんの後輩さんが見つけてくださって、メールでご教示くださいました。

 ご本人のご承諾を得て、それをご紹介します。

 源さんの後輩さんは、国会図書館のデジタルライブラリーで見つけてくださったのです。

 大正6年に刊行された『上野資料集成』所収の『上野志』です。

 URLはこちら。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/957294

 この49ページ(36コマ目)に以下の記事があります。『上野志』の「碓氷郡」の条です。

>一、磯部村 此所鹽の涌き出づる所あり。
> 古城 佐々木三郎盛綱入道西倉の舊路なり[東鑑正治三四月の事を記す。之を略す。]

 これを見ると、「磯部村」の解説が「此所鹽の涌き出づる所あり。」です。そして、磯部村には古城があって、その古城の解説が東鑑(吾妻鏡)の出典付きで「佐々木三郎盛綱入道西倉の舊路なり」(誤記か誤植がありそう)と書かれています。吾妻鏡は佐々木盛綱の記事のみの出典で、「此所鹽の涌き出づる所あり。」を含むものではありません。これは吾妻鏡の当該条を見れば確認できることです。

 ところが、これを読んだ誰かが、出典の及ぶ範囲を誤解し、吾妻鏡の本文を確認することも怠った結果、「磯部村 此所鹽の涌き出づる所あり」も吾妻鏡の記事と誤認してしまったのでしょう。それがネット上の記事になったものと思います。

 源さんの後輩さんは、これがネット上の記事の直接の元というわけではなく、ネットに至るまでの間に何らかの書物が介在した可能性をお考えのようです。その可能性も高いものと思います。

 この記事を見つけて、ご教示くださった源さんの後輩さんに厚く御礼申し上げます。

 なお、『上野志』は成立年代未詳ですが、日本古典籍総合目録データベースによれば、岩瀬文庫に安永3年(1774)の写本が所蔵されているようですので、江戸中期には成立していたもののようです。

 (平成28年1月1日に西尾市岩瀬文庫の「古典籍書誌データベース(試運転)」を検索したところ、この『上野志』というのは、毛呂権蔵の『上野国志』のことであることが判明しました。そこで、上文は削除します。『上野志』の成立年は未詳です。)


 今日、勤務先の群馬学センターで、副センター長の熊倉先生から『磯部誌』(磯部誌編集委員会編。あさを社刊。1990年11月)という書籍を見せて頂きました。

 そこに、明治中期の文人山本有所が明治19年に著した『磯部鉱泉繁昌記』には「「東鑑」に「磯部村此所に塩の涌き出る所あり」とあると書いている。」とありました。

 『磯部鉱泉繁昌記』は、画像が群馬県立図書館デジタルライブラリーに収録されていますので、早速見てみました。「磯部邑」の条に、確かに、「東鑑に磯部村此所に塩の涌き出る所ありとあり」と書いてありました。

 『磯部鉱泉繁昌記』のこの記事はどこから来たのでしょうね。『上野志』の記事を誤読した可能性がありますが、確証はありません。

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