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2015年12月 1日 (火)

前橋市の旧町名

 昨日掲載した前橋文学館の展覧会は、地元の自治会との関係が深い企画展と思いました。右衛門七のお母さんのお墓がある大蓮寺も前橋文学館の近くですし。

 うっしーさんのコメントによれば、空襲慰霊碑も町内会が管理しているとのことでした。

 そういえば、あの慰霊碑の所在地も近くです。

 ふと、昔の町の境界のことが気になりまして、古い地図帳を引っ張り出してきました。下の図は昭和32年の地図です。大蓮寺は中央にあります。
Maebashikyu
 地図に記載された町名を拾うと、清王寺町、琴平町、向町、細ガ沢町、小柳町、神明町、北曲輪町、竪町、立川町、諏訪町、横山町、桑町、萱町、榎町、紺屋町、曲輪町、などが見えます。

 下は現代の地図です。
Maebashishin
 ここに見える町名は、若宮町、平和町、住吉町、日吉町、大手町、千代田町、城東町、です。

 何と言いましょうか。全取っ替え。「地名は形のない文化財」という観点から見たら、無惨とも言えそうな状況です。

 これは合併によるものではなく、昭和37年5月10日に施行された「住居表示に関する法律」によるものです。

 私が住んでいた町でも住居表示が変わりました。私のところは、町名は変わらず、それまでの「1丁目235番地」が「4丁目9番6号」に変わったのでした。

 新住居表示によって、行政や郵便配達等の合理化は図られましたが、その一方で、長年親しまれてきた多くの町名が統合や廃止によって失われました。

 町名はそのままに、数字の付け方だけ変えれば良さそうなものですけど、そういうわけではなく、1つの地名の広さとか、街区との関係などもあるのでしょうね。

 前橋市の場合は、個々の町域が狭すぎたり、道路との関係が適当でなかったりして大きく変える必要があったのかもしれません。それでも、旧町名はなるべく残すという方法もあったのでしょうが、そうすると、残る町名と消える町名とができてしまうので、そういう不公平を失くすために、全部がらりと、ということなのかもしれませんね。

 やはり、「無惨な」という気がします。

 一方、今50代以下の人たちは、物心ついたときから、現町名に親しんでいるわけですから、現地名に対する愛着もありましょう。

 なかなかねぇ。

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コメント

 前橋の新旧の地図を見せていただきありがとうございます。本当にきれいさっぱり地名が変わってしまったのですね。無残なことです。「地名は形のない文化財」とのこと。納得です。

 古い地図を見ると忘れていた記憶がよみがえります。生地の琴平町の名も何十年ぶりかで目にしました。
今まで地名にまったく無関心だったことを痛感します。

 

 

 

うっしーさん

 昔の地図や地名、懐かしんで頂けたら幸いです。

 お生まれは琴平町でしたか。それなら、空襲慰霊碑や大蓮寺はすぐご近所ですね。

 地名って、普段はあまり意識しませんけど、平成の大合併のように、自分の住んでいる地名がなくなってしまうかもしれないとなると、急に意識し出したりして。水や空気のようなものかもしれませんね。

 歴史好きの私は、地名好きでもあります。(^_^)

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