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2015年12月

2015年12月31日 (木)

まほろぐランキング2015

 大晦日になりました。

 当まほろぐも皆様のご支援を頂いて、無事に年末を迎えることができました。厚く御礼申し上げます。

 今年の1月1日からここまでのページ別アクセスランキングを掲載致します。
Mahoaccess2015
 まだ大晦日は3時間ほど残っている時点でのデータですので、日付けが変わってから数字を差し替える予定でしたが、変更はありませんでした。

 まほろぐの表紙やカテゴリーは含めていません。ぐんまちゃん関係にはぐんまちゃん色(?)を付けました。奈良関係には黄緑です。右端の( )内の数字は昨年の順位(ただし、昨年ランキング入りしたもののみ)です。

 昨年のデータはこちら。

 上位3位までは昨年も上位を占めています。来年もそうかも。(^_^)

 第4位の「高崎線とイノシシとが衝突」は2日間ほどに集中して閲覧されました。来年は全く姿を見せないことでしょう。(^_^)

 第8位の「白内障の手術」は、必要とされる方の参考になれば幸いという気持ちでアップしました。上位に入りましたので、多少ともお役に立てたように思います。

 第16位の「ネコも授業に」は、はなちゃん初登場の回です。今頃どうしているのやら、気になります。

 第26位(27本)までのランキングという、なんかハンパな数ですが、これは惟光さんの「「魔法少女まどか☆マギカ」を考察する授業」まで入れたかったためです。(^_^)

 また来年もどうぞよろしくお願い致します。

 よいお年をお迎えくださいますよう。

2015年12月30日 (水)

ぐんまちゃんのランチパック

 ぐんまちゃんのランチパックがあるということを最近知りました。それは是非お目に掛かりたいものと思っていたら、今日見た雑誌にその広告が載っていました。
2016yamazaki
 「日本全国ランチパック選手権」というイベントなのでした。エントリーは以下の6選手(?)です。

 ・東日本地区代表:上州牛肉のすき焼き風(群馬県「上州牛肉のすき焼き」)
 ・北陸地区代表:とやまポーク入りキャベツメンチカツ(富山県「とやまポーク」)
 ・中部地区代表:名古屋コーチンの焼鳥風&マヨネーズ(愛知県「名古屋コーチン」)
 ・関西地区代表:宇治抹茶クリーム&つぶあん(京都府「宇治抹茶」)
 ・中四国地区代表:ネーブルオレンジ&チーズ(広島県「広島ネーブルオレンジ」)
 ・九州地区代表:はかた地どりの鶏つくね(福岡県「はかた地どり」)

 東日本地区には北海道・東北・関東が含まれます。その広大な範囲からただ1つ選ばれたのが群馬のすき焼き。そして、パッケージにゆるキャラが描かれているのはぐんまちゃんのみです。

 なんというすばらしさ! もう群馬は「秘境」とは言わせない。

 と言いたいところですが、この「日本全国ランチパック選手権」は、「山崎製パン株式会社が冠スポンサーをつとめるニューイヤー駅伝(全日本実業団対抗駅伝競走大会)の予選大会6地区の区分にならって、地区区分をしております。」とのことです。

 ニューイヤー駅伝の舞台は群馬県。(^_^)

 オトナの事情がありそうです。(^_^;

 この企画のことは以下のサイトにも載っています。

https://lunch-p.yamazakipan.co.jp/

 近所のスーパーに行ったら、これらのランチパック、並んでいました。ぐんまちゃんのだけ買いました。(^_^)






Gunmac_yamazaki

2015年12月29日 (火)

うどんかるた

 ネットで話題になった「うどんかるた」を買ってしまいました。(^_^; ミーハーです。
Udoncard01
 ネット販売もしていて、昨日注文して、今日届きました。迅速な対応です。香川は遠いのに、翌日届くとは。

 中身です。
Udoncard02
 これが物議をかもした札。
Udoncard03
 一時発売中止になったのですが、問題なしということで、発売に漕ぎつけたのは幸いでした。これがアウトなら、サラリーマン川柳の多くもアウトでしょうし、綾小路きみまろは全面的にアウトです。(^_^;

 下のような挨拶文が入っていました。
Udoncard04
 こういう風雅な(?)札もあります。
Udoncard05
 ウラです。向かって左が読み札、右が取り札です。
Udoncard06
 「年越しそば」に対して、「年明けうどん」を普及させようとしているようです。(^_^)

2015年12月28日 (月)

磯部をゆく(3)磯部公園の文学碑

 「磯部をゆく(1)」で、温泉記号の碑があると書いた磯部公園には文学碑がたくさん建っています。この近くの温泉旅館を生家とする大手拓次の縁によるものでしょう。
Isobekoen01
 大手拓次の詩碑は(たぶん)3基ありました。そのうちの1基です。
Isobekoen02
 下は北原白秋の歌碑。「華やかにさびしき秋や千町田のほなみがすゑを群雀立つ」とあります。
Isobekoen03
 この歌は、北原白秋が、昭和12年に大手拓次の墓参に磯部温泉を訪れた折に書き置いたものだそうです。

 下は若山牧水の歌碑です。
Isobekoen04
 牧水の歌には葉ざくらがよまれています。磯部にはたくさんの桜が植わっていたようです(今もそうかもしれません)。下はネットオークションで手に入れた磯部の名所絵図(その中心部のみ)です。桜並木が華やかです。戦前のものと思いますが、年代未詳です。今の地図と違って、上が南です。
Isobe08
 昨日ご紹介した松岸寺は左端にあります。大手拓次の生家磯部館は右下隅です。

2015年12月27日 (日)

磯部をゆく(2)松岸寺

 磯部にある松岸寺というお寺に行きました。磯部駅から東へ20分ほどの所にあります。

 あと少しで松岸寺という地点。左側に「この先歩行者 通行不可能」という立て札が立っていますけど、そう言われても……。
Shoganji01
 通行不可能なのは車道の向かって左側のみでした。確かに、左側はガードレールの左側に歩行者の歩ける余地は無さそうです。歩行者は車道の右側を歩けということでしょう。松岸寺は車道の左側にありますので、右側に渡るのは遠回りになりますが、仕方ありません。車道の右側を歩き、右奥に見えているセブンイレブンの少し先で道を渡ると松岸寺への参道がありました。

 しかしまぁ、歩行者に冷たい道路事情ですね。群馬県は自動車大国です。歩行者は邪魔者扱いなのでしょう。大体、歩いている人、少ないし。そういえば、松岸寺まで片道20分を往復する間、行きも帰りも全く人とすれ違いませんでした。これまたなかなかすごいことです。(^_^)

 山門です。写真は省略しましたが、曹洞宗の禅寺ですので、山門脇に「不許葷酒入山門」の石柱がありました。
Shoganji02
 山門の手前にこのようなものが。動物のお墓か供養塔ですね。動物好きとしては嬉しいことです。ペットではなく、農耕等に使用した牛馬を供養するものかと思います。
Shoganji03
 境内には群馬県の重要文化財に指定されている鎌倉時代の五輪塔2基があります。
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 風雨を防ぐための建物に入っているので、格子の間から撮影しました。向かって右側です。
Shoganji06
 向かって左側。
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 解説板によれば、1基には正応6年(1293)の年紀があるようです。
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 佐々木盛綱の墓と伝えられているようですが、年代は100年近くもずれます。

 佐々木盛綱は治承4年(1180)の源頼朝挙兵以前から頼朝に従った古参の御家人です。建仁元年(1201)には上野国磯部郷に居住していたことが『吾妻鏡』に見えていますので、そんなことから、佐々木盛綱の墓という伝承が生じたのかもしれません。ただ、墓としては年代が合いませんが、供養塔ならば佐々木盛綱夫妻のものでもOKかもしれません。

 この五輪塔の近くにある墓石には、播州赤穂の家老であった大野九郎兵衛の墓であるとの伝承があります。
Shoganji08
 大石内蔵助達の討ち入りが失敗に終わった時に備えて、2番手として磯部に潜んでいたというのですが、どうなんでしょ。なぜ磯部にいたのかというと、ここに吉良の領地があったので、上野介がここに逃げてくる可能性があったからというのです。信憑性は薄いように思えますが、さて。

 松岸寺では、この墓石の傍らにはその旨の解説板などは一切設けていません。

2015年12月26日 (土)

磯部をゆく(1)温泉記号のナゾ

 今日は磯部に行ってきました。本当は12日の群馬学連続シンポジウムの前に行きたかったのですが、時間が取れず、行きそびれてしまいました。群馬学シンポジウムは終わったものの、それを経たことで、さらに行きたくなりました。

 当初予定していた23日(水・祝)は天気が悪かったために延期し、今日、やっと行けました。お天気も良く、風もなく、暖かな良い日でした。(^_^) 延期して正解でした。
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 目に付いたのは、「日本最古の温泉記号の地」のアピールです。

 まずは、磯部駅前。格子状に見えるのは、ライトアップの配線のようです。最近、駅前広場をライトアップするのが流行っていますね。
Isobe01_2
 そして、駅から5分ほどの所にある磯部公園の中央部にもこのような石碑が。
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 公園から西に降りていった所にある足湯の脇にも石碑が。柱との位置関係が悪いので、正面から撮れません。(^_^;
Isobe03
 土地争いの判決を幕府が下した、その絵図にこのマークが付いているということで、ここの石碑にはその絵図が刻まれています。

 町中の至るところに、この旗。町を挙げて「温泉記号発祥の地」をアピールしています。
Isobe04
 それに水を差す気はないのですが、ちょっと引っ掛かるところがあります。

 以前、当ブログの「磯部温泉のこと(3)」に書きましたように、磯部の鉱泉が大規模に噴出したのは天明3年(1783)のことのようです。ただ、安永3年(1774)以前に成立したとおぼしき『上野志』に「磯部村 此所塩の涌き出づる所あり。」と書かれていますので、安永3年以前にも、小規模にでも湧出はしていたのでしょう。でも、その湧出時期は、この絵図の描かれたという万治4年(1661)までさかのぼりうるものかどうか。だとすると、万治4年(1661)のものというこの絵図に温泉記号が描かれうるものかどうか。

 (その後、「磯部温泉のこと(2)」を一部修正しましたように、『上野志』の成立年代は未詳とすべきことが判明しましたので、上文を修正しました。)


 さらに不審なのは、今でこそ磯部は高温の湯が出て温泉になっていますけど、湯が出たのは近年のことで、それ以前は冷泉だったということです。大正12年3月刊行の『碓氷郡志』に磯部鉱泉の泉質分析結果が載っていて、そこには鉱泉の温度は「摂氏 一六度六」とあります。

 温泉記号で3本ゆらゆらっとしているのは湯気でしょうね。16度6分では湯気は立ちますまい。

 絵図にある温泉マークらしきものは、ひょっとすると90度ほど左向きに回転させて見るべきものかとも思いました。下のように。
Isobe05
 これならば、ゆらゆらっとしているのは、湯気ではなく、湧出している鉱泉の流れと見ることができそうです。

 でも、絵図には建物も描かれていて、その向きからは、このままが正しいようですので、不審が消えません。
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2015年12月25日 (金)

信州真田紀行

 駅(高崎駅だったか、新町駅だったか)に、このようなパンフレットがありました。
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 JR東日本のです。来年のNHK大河は「真田丸」。上田が舞台の1つになりますので、JRもお客さんを増やしたいところでしょう。表紙を除いて6ページで、真田、上田、松代を紹介しています。

 裏表紙には交通案内とアルクマ。
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 前橋では「花燃ゆ」館が開設され、多くのお客さんでにぎわいました。上田でも同様の施設が開設されるようです。
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 真田幸村の扮装をしたアルクマとぐんまちゃんとを並べてみました。
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ゴミ出せたなう

今日は週に一度の不燃ゴミの日。
次回は元日でゴミ収集はありません。
無事に出せて嬉しい。(^_^)

2015年12月24日 (木)

サンタSuica

 クリスマスといっても特段のことはありません。でも、季節のものですので、サンタさんを載せておきます。

 東京駅構内にあるSuicaのお店で、店長さんがサンタさんの衣装を着けていました。これは数日前の撮影ですが、今日も多分同じだと思います。(^_^)
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 ついでながら、ぐんまちゃんも。
Gunmac_xmas
 特段のことはないと書きましたが、スーパーに行ったら、鶏のももを売っていましたので、つい買ってしまいました。ちょろい客です。(^_^;
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2015年12月23日 (水)

キティ+群馬のゆるキャラ

 『広報たまむら』の最新号の表紙です。
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 ステージ上に、玉村のたまたん、ぐんまちゃん、草津のゆもみちゃん。下にキティちゃんがいます。

 スクリーンには、「Kitty×群馬県 nakayokuイベント 心にぐぐっとぐんま!」という文字が見えます。
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 ググってみたら、10月24日(土)にサンリオピューロランドで開催されたイベントのようです。……といっても、サンリオピューロランドって、初めて聞いたのですが。(^_^;

 キティちゃんの前の2人の女の子、ちょっと固まっているようですね。
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 本物の(?)キティちゃんが目の前にいるのですから、そりゃぁ、固まりますよね。(^_^)

2015年12月22日 (火)

40年前の釜飯系の駅弁

 一昨日アップした「『駅弁の旅』(昭和48年)」に、三友亭主人さんからコメントを戴きました。それにお応えして、『駅弁の旅』に掲載の駅弁から、釜飯を選び出してみました。

 博多の釜飯。みそ汁付きです。
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 静岡の釜のたいめし。コメントによれば、元は釜飯ではなかったものを釜飯にしたのでしょうかね。
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 黒磯の九尾釜めし。これには把手がついています。
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 水上の岳(たけ)の釜めし。
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 青森の帆立釜めし。
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 釧路の貝の釜めし。
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 昔の本だからいいかと、お気楽にアップしてしまいましたが、この本の刊行からまだ40年ちょっとですので、著作権法上はアウトですね。(^_^;

 でも、まぁ、この本は今新刊で売っているわけではありませんので、版元の利益を圧迫するわけでもなし、出典を明記すれば、通常の引用の範囲に入るのではと思います。

 この本に掲載されている駅弁は126種です。そのうち、釜飯は横川の峠の釜めしを入れて7種になります。パーセンテージからすれば全体の5.6%ですけど、今よりは多いのではないでしょうか。

 持ち帰れば再利用できる、というあたりにお得感があったのでしょうかね。あるいは、温かい状態で売られていたとか。旅の土産になるとか。

 三友亭主人さんのおうちにあった釜飯の容器も、ひょっとしたら上記のどれかかもしれませんね。

2015年12月21日 (月)

偽ネコの親子

 去年の12月に「実ネコ? 虚ネコ?」という記事を載せました。

 前橋を自転車で走っているときに、店頭で、本物のネコと見紛うような置物のネコを見たという内容です。

 6月には、その続編「増殖した偽ネコ」をアップしました。

 先日、そのお店の前を通ったら、大小2匹のネコが親子のような感じで寄り添っていました。
Nisenekoyako
 お店の人、あれこれ工夫しています。(^_^) 工夫というより、楽しんでいるのかもしれませんね。

 初めて見たときは本物と見紛うほどでしたが、偽物と分かってしまえば、もう本物には見えません。(^_^)

 本人は「偽ネコ」や「偽物」と言われるのは心外でしょうね。(^_^;

2015年12月20日 (日)

『駅弁の旅』(昭和48年)

 このような本を入手しました。またネットオークションです。
Ekibentabi01
 昭和48年4月刊。発行所は千趣会です。全273ページ。九州から北海道まで126種の駅弁がカラー写真で収められています。今から40年ほど前のですね。

 いくつかご披露します。

 高崎のだるま弁当。
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 今のです。
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 容器は同じですが、中身は結構変わっていそうです。海老天が消えた。(^_^;

 横川の峠の釜めし。
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 今のです。
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 これは同じですかね。

 北海道森駅のいかめし。
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 今のです。
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 中身は同じようですね。掛け紙のデザインも基本は踏襲されているようです。

2015年12月19日 (土)

電気ブラン

 昨日いただきました。
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 今まで「電気ブラン」という名前は聞いたことがあったのですが、実物を見るのは初めてです。
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 箱の裏に解説が書いてありました。
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 痺れるくらいに強い酒なので、「電気」が付いているのかと思ったら、そうではなく、「電気」というのは最先端という意味のようですね。「文化包丁」の「文化」のような感じでしょうかね。

 アルコール度数は40度だそうです。アルコール度数3%の缶チューハイで酔っ払ってしまう私には、途方もない数字です。(^_^;

2015年12月18日 (金)

前橋で出前講座&前橋をゆく

 今日は前橋の中央公民館で出前講座をしてきました。テーマは「古事記をよむ-八岐大蛇-」です。9日前の出前と同じテーマです。

 前回は「ばらの会」、今日は「みくの会」という団体で、別の組織なのですが、会長や世話役は共通で、姉妹関係にある団体のようです。メンバーは両方とも100名を越えています。どちらも毎月1回ずつ学習会を開いていて、毎月様々なジャンルの講演を行っています。私も年に1回ずつ呼んで頂いて、みくの会は11年目、ばらの会は8年目になります。

 今回は同じ話でというご希望でしたので、どちらも八岐大蛇になりました。

 ただ、レジュメは多少改訂しました。今回は、五穀の起源の話の記紀対照表と、古今集仮名序の「八雲立つ」の部分の引用とを追加しました。

レジュメはこちら

 この講座は正午まで。13時半から同じ前橋市内で他の用事がありましたので、前橋公園で楫取素彦の顕彰碑を見たり、前橋文学館で矢頭右衛門七の展覧会を見たりしました。
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 NHK大河「花燃ゆ」で吉田松陰が刑死すると松陰神社に行ったり、「花燃ゆ」が終わったので楫取顕彰碑を見に行ったりと、影響されています。(^_^;

 楫取顕彰碑のことは、当ブログでも、今年の4月18日(土)にも「楫取素彦の顕彰碑」というタイトルで載せています。そこでも書いたのですが、顕彰碑の傍らに解説板があります。そこに「有栖川宮熾仁(ありすがわのみや・たるひと)」とあるべきところ、「有栖宮熾仁(ありすがのみや・たるひと)」となっています。漢字は「川」の字が足りないし、読みは「わ」がたりません。お粗末なことです。
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 あれからちょうど8ヶ月。直っているかと思ったら(いえ、たぶん直っていないと思っていましたけど)、そのままでした。みっともないですね。

 知らせましょうかね。知らせても直さないかもしれませんけど。

 前橋文学館では学芸員さんと少し話をしました。私はあまり人付き合いの良い方ではありませんけど、忠臣蔵の話題ならば初対面の人とも話せます。(^_^)

2015年12月17日 (木)

古代地名検索システム

 奈良文化財研究所がネット上に「古代地名検索システム」を公開しました。
Chimeikensaku01
 URLは、http://chimei.nabunken.go.jpです。

 和名抄の国郡郷名が漢字とかなと両方から検索できます。たとえば、漢字「拝師」で検索すると、以下のような結果が得られます。
Chimeikensaku02
 地名を構成する漢字一字からの検索も可能です。

 実は、こういうの作りたかったんです。定年退職後に。

 でも、「先を越された」などという思いは全くありません。人様が作ってくださればこんな楽なことはありませんし、自分で作ると言ったって、プログラミングができるわけではありませんので、市販のデータベースソフトにデータを入力するだけのことです。

 良いものを作って戴いて、ただただ感謝です。地名検索が楽になります。

 ただ、今のところ、まだ和名抄や地名辞書のデータが入っているだけで、今後、木簡や正倉院文書などのデータを入力して行くようです。楽しみです。♪

 さて、例示した「拝師」ですけど、これらは古くは「林」と表記していたものでしょう。それが、郡郷名は漢字2字で表記しなくてはいけないことになり、困ったのでしょうね。2字で表記するとすれば、「は」+「やし」とするか、あるいは「はや」+「し」とするか、何れかでしょう。前者は難しいでしょうね。後者ならば「早石」などの組合せも可能でしょうが、「拝師」というのは好字として選ばれたのでしょう。

 でも、その表記がこれだけぞろぞろと出てくるということになると、これはたまたま同じ表記が選ばれたというより、真似たのでしょうね。

 なんかね、面白いです。

2015年12月16日 (水)

凛々しいぐんまちゃん

 磯部温泉のこと、お付き合い頂きましてありがとうございます。

 まだ書くことが出てきそうですが、今日はぐんまちゃんネタです。

 通勤の電車内でこんな吊り広告を見ました。
Gunmac_shobodan01
 ほんわかモードが多いぐんまちゃんですが、これは珍しく凛々しい姿をしています。足腰の構えもしっかり決まっていますね。

 アップにすると、火事装束の胸の部分に、火消し半纏を着たぐんまちゃんの絵が描いてあります。
Gunmac_shobodan02
 顔はいつもと同じなのに、服や姿勢でずいぶん印象が変わるものです。(^_^)

 しかし、電車の中で吊り広告を撮影するって、かなり恥ずかしかったです。(^_^;

 でも、その昔、本屋さんでおニャン子の本を買う時には背中を冷たいものが流れました。それを思えば、大したことはありません。(^_^)

2015年12月15日 (火)

磯部温泉のこと(3)

 今度は、『碓氷郡志』(群馬県碓氷郡役所。大正12年3月)を見ました。

 その「第六章 鉱泉」の「一、磯部鉱泉」に磯部温泉(当時は温度が低いので、鉱泉です)のことが載っていました。次の通りです。

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 泉質は炭酸性の冷泉で塩分が多く、胃病、僂麻質斯などには效顕著しいと一般に風評されてをる。
 古来よりこの地附近は一面に湿潤の低地で水田ばかりの所であつた。恰も天明三癸卯年(紀元二、四四三年)七月浅間山大噴火の折に、此処にも大きな地唸りがしたかと思ふと、恐ろしき音を立てゝ数丈の高さに鉱泉を吹き揚げたのである。その時丁度水田見廻りの者が之を観てその偉観に驚歎したと云ひ伝へられてをる。その後間もなく浅間山の噴煙が静まるにつれ、鉱泉噴出の勢も次第に弱くなり、終に釜の湯が煮立つ位の程度で常にブクブクと湧き出してをつた、之が鉱泉湧出の始めなのである。然しその当時は誰知る者もなく、唯水田の間を流れ去るに委せてあつたのを、偶々この水で咽喉を湿ほさうとした処が、その味が大変に鹹く丁度塩水を含むと同じ様なので、土地の者は之を塩湯と称へ又この地を塩の窪と呼び、この水を汲んで来て入浴に用ひ湯治用として試めした処が效験があつたと伝へられた。
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 鉱泉の噴出したときの状況が臨場感をもって描かれています。

 この本には、例の吾妻鏡の幻の記事は載っていませんでした。

 この本の著者は、磯部鉱泉は天明3年(1783)に初めて噴出したと考えているようです。

 しかし、安永3年(1774)以前に成立したとおぼしき『上野志』に「磯部村 此所鹽の涌き出づる所あり。」と書かれているわけですから、天明3年以前から鉱泉はすでに出ていたのでしょうね。それが大量に噴出したのが天明3年ということなのだろうと思います。

 (その後、『上野志』の成立年は未詳とすべきことが判明しましたので、上文は削除しました。「磯部温泉のこと(2)」をご参照ください。)


 ふと、そういえば、うちに『上野名跡志』があったはずだということを思い出しました。以前ネットオークションで手に入れたのです。

 これを探そうとして、デスクトップパソコンの背後でゴソゴソしているうちに、何ごとかが起きて、通信ができなくなってしまいました。ケーブルが抜けたか、断線した模様です。

 まったく……。なまじ動くとこういうことが起こります。

 この記事はノートパソコンからアップしています。早く原因を突き止めて直さねば。

 『上野名跡志』は無事に見つかりましたけど、特段の発見はありませんでした。幻の吾妻鏡の記事もなし。この本は記紀をはじめとして多数の書籍を参照しています。『上野志』も見ていますが、幻の吾妻鏡の記事は載せていません。この本の著者は、『上野志』の記事を正しく読んでいるようです。
Kozukemeisekishi

2015年12月14日 (月)

磯部温泉のこと(2)

 土曜日の群馬学連続シンポジウムに関連して、昨日、「磯部温泉のこと」という記事をアップしました。

 その記事の後半で、吾妻鏡の記事として「磯部村此所に塩の湧き出る所あり」という文がネット上に流布しているけれども、この文は吾妻鏡に見出せないということを書きました。

 この件について、幻の条文の出所と思われるものを源さんの後輩さんが見つけてくださって、メールでご教示くださいました。

 ご本人のご承諾を得て、それをご紹介します。

 源さんの後輩さんは、国会図書館のデジタルライブラリーで見つけてくださったのです。

 大正6年に刊行された『上野資料集成』所収の『上野志』です。

 URLはこちら。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/957294

 この49ページ(36コマ目)に以下の記事があります。『上野志』の「碓氷郡」の条です。

>一、磯部村 此所鹽の涌き出づる所あり。
> 古城 佐々木三郎盛綱入道西倉の舊路なり[東鑑正治三四月の事を記す。之を略す。]

 これを見ると、「磯部村」の解説が「此所鹽の涌き出づる所あり。」です。そして、磯部村には古城があって、その古城の解説が東鑑(吾妻鏡)の出典付きで「佐々木三郎盛綱入道西倉の舊路なり」(誤記か誤植がありそう)と書かれています。吾妻鏡は佐々木盛綱の記事のみの出典で、「此所鹽の涌き出づる所あり。」を含むものではありません。これは吾妻鏡の当該条を見れば確認できることです。

 ところが、これを読んだ誰かが、出典の及ぶ範囲を誤解し、吾妻鏡の本文を確認することも怠った結果、「磯部村 此所鹽の涌き出づる所あり」も吾妻鏡の記事と誤認してしまったのでしょう。それがネット上の記事になったものと思います。

 源さんの後輩さんは、これがネット上の記事の直接の元というわけではなく、ネットに至るまでの間に何らかの書物が介在した可能性をお考えのようです。その可能性も高いものと思います。

 この記事を見つけて、ご教示くださった源さんの後輩さんに厚く御礼申し上げます。

 なお、『上野志』は成立年代未詳ですが、日本古典籍総合目録データベースによれば、岩瀬文庫に安永3年(1774)の写本が所蔵されているようですので、江戸中期には成立していたもののようです。

 (平成28年1月1日に西尾市岩瀬文庫の「古典籍書誌データベース(試運転)」を検索したところ、この『上野志』というのは、毛呂権蔵の『上野国志』のことであることが判明しました。そこで、上文は削除します。『上野志』の成立年は未詳です。)


 今日、勤務先の群馬学センターで、副センター長の熊倉先生から『磯部誌』(磯部誌編集委員会編。あさを社刊。1990年11月)という書籍を見せて頂きました。

 そこに、明治中期の文人山本有所が明治19年に著した『磯部鉱泉繁昌記』には「「東鑑」に「磯部村此所に塩の涌き出る所あり」とあると書いている。」とありました。

 『磯部鉱泉繁昌記』は、画像が群馬県立図書館デジタルライブラリーに収録されていますので、早速見てみました。「磯部邑」の条に、確かに、「東鑑に磯部村此所に塩の涌き出る所ありとあり」と書いてありました。

 『磯部鉱泉繁昌記』のこの記事はどこから来たのでしょうね。『上野志』の記事を誤読した可能性がありますが、確証はありません。

2015年12月13日 (日)

磯部温泉のこと

 昨日の群馬学連続シンポジウムでは、私の話の中で、文化14年(1817)の温泉番付をプロジェクターでご披露しました。この番付は以前ネットオークションで入手していたものです。まほろぐでも、去年の10月4日 (土)に「文化14年の温泉番付」というタイトルでご披露しました。

 ネットオークションで入手したものが役に立つこともたまにあります。(^_^)

 上半分が番付で、下半分は草津温泉の絵図になっています。これは上半分です。
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 東の大関に草津温泉、前頭三枚目に伊香保温泉があります。
Bunka14kkusatsu05
 東の三段目には、まほろばやまほろぐにも登場した川原湯温泉が。
Bunka14kkusatsu06
 西の三段目には嶋の湯(たぶん四万温泉でしょう)と老神温泉が見えます。
Bunka14kkusatsu07
 勧進元には沢渡温泉の名も見えています。さすが群馬は温泉県です。ところが、磯部温泉の名はありません。文化14年の時点ではまだあまり知られていないようです。この画像からはそんなことを話すつもりでした。

 ところが、私の前に話をしてくださった、パネリストのお一人である大工原豊氏が下のようなデータを示されました。
H27gunma30c
 この画像を示しつつ話されたところに依れば、磯部温泉は天明3年(1783)の浅間山の噴火で刺激されたのか、この時に源泉が湧出し、天保12年(1841)(画像の「天明」は「天保」の誤り)に温泉小屋が作られ、大手拓次の生家に繋がる貸し浴場が建設されたのは文久2年(1862)とのことです。

 温泉番付の文化14年(1817)の時点では源泉はすでに湧出はしていますが、温泉小屋すらまだ作られてはおらず、番付に載るまでには到っていなかったのでしょう。

 大工原氏のお話がこの番付としっくり繋がりました。すっきりして気持ち良かったです。(^_^)

 磯部温泉の歴史については、「磯部温泉 吾妻鏡」でググると、結構たくさんのサイトがヒットします。そして、本文には、判でついたように、「吾妻鏡の中に「磯部村此所に塩の湧き出る所あり」とあることから、鎌倉時代にはすでに温泉が湧出していたものと推測される。」という文章が書かれています。そしてさらに、それらには判でついたように吾妻鏡のどこにそう書いてあるのか、所在が全く書かれていません。

 私も吾妻鏡の中を探してみたのですが、この記事は見つかりませんでした。どうも吾妻鏡にはこの記事はないようです。そんなことも話したところ、大工原氏もうなづいていらっしゃいました。大工原氏もこの記事が吾妻鏡には載っていないとお考えのようです。

 誰かが誤った記事をサイトに載せてしまったのでしょうね。それを多くのサイトが無批判にそのまま転記してしまったか、あるいは裏付けを取ろうとはしたが取れないまま転記してしまったのでしょう。

 いい加減なもんです。

 自分で確認していないのなら、せめて、「吾妻鏡の中に……という記事があるそうだ」という伝聞形式で載せるのならまだしも、見てもいないものを「吾妻鏡の中に……とあることから」などと、自分で見たかのように書くのはアウトです。こういうレポートが提出されたら「不可」を付けてしまいます。

2015年12月12日 (土)

群馬学連続シンポジウム30

 今日は、勤務先で群馬学連続シンポジウムがありました。第30回となります。
H27gunma30a
 テーマは「大手拓次と磯部温泉」です。昨年の11月に伊香保温泉を取り上げたのに続く温泉シリーズの第2回目です。
H27gunma30b
 私もパネリストの1人として加わってきました。

 レジュメはこちら。

 大手拓次のことはほとんど知りませんが、古い時代担当ということで、近代以前の磯部のことを話しました。

 いろいろと勉強になりました。あとで、別項としてアップするかもしれません。

2015年12月11日 (金)

鶴舞う→つるっ!うまっ!

 このようなリーフレットがありました。
Okkirikomi01
 群馬県内の参加店51店舗のうち3店舗のおっきりこみを食べて参加するスタンプラリーです。
Okkirikomi02
 10月1日から始まっているようですので、情報入手が随分遅かったです。

 1枚目の画像はかるたのような形をしています。

 群馬県民ならば誰もが知っている「上毛かるた」の「つ」の札は「鶴舞う形の群馬県」という読み札で、この表紙はそれをもじっています。

 「つるまうかたちの群馬県」→「つるっ!うまっ!たべよう群馬県」

 出来映えはどうでしょうね。イマイチかなぁ。「シブ知」の(5,5)くらいでしょうか。(^_^)

2015年12月10日 (木)

ふなっしーの忠臣蔵

 こんなものを見つけました。
Funa_chu01
 大星由良之助の扮装をしたふなっしーです。
Funa_chu02
 忠臣蔵ぐんまちゃんや、忠臣蔵キティちゃんの同類と思いましたが、ひと味違っていました。

 「梨園」つながりで、歌舞伎の扮装なのだそうです。

 ちょっと「おお!」でした。(^_^)

2015年12月 9日 (水)

八岐大蛇で出前講座

 今日は前橋で出前講座をしてきました。テーマは「古事記を読む-八岐大蛇-」で、会場は前橋市の群馬県生涯学習センターです。

レジュメはこちら

 公開講座で八岐大蛇を取り上げるのは初めてです。オオゲツヒメのところから、オロチ退治を経て、須賀の宮までを読みました。

 来年、続きを読むとすれば稲羽の素兎になりますけど、どうするか思案中です。

 生涯学習センターの近くには二子山古墳という前方後円墳があります。寄って行きたいところですけど、講座終了が12時。13時までに勤務先に着かなくてはなりませんでしたので、二子山古墳の見学は断念しました。

 写真がないとさみしいので、生涯学習センターで見かけたぐんまちゃんを載せておきます。
Gunmac_wood01
 斜め横からです。
Gunmac_wood02

2015年12月 8日 (火)

ぐんまちゃん2題

 出勤時に、新町駅の自転車置き場で、私のネクタイに虹がさしていました。
Gunmac_niji
 太陽光が何かに反射して(あるいは、何かを透過して)こんな感じになりました。

 あ、今日のネクタイは、たまたまぐんまちゃんでした。(^_^)

 夕方、前橋駅構内の物産店のショーウィンドーがこんなになっていました。
Gunmac_koro
 クリスマスバージョンですね。ツリーの両脇に、ぐんまちゃんところとん。ツリーの飾りにも、ぐんまちゃんところとんが付いています。

2015年12月 7日 (月)

乗り過ごした

 群馬の家は、渋川駅の1つ手前の八木原駅が最寄り駅です。

 今日の帰り、電車の中でついうとうとしちゃったんですねぇ。ふと目が覚めたら、八木原駅に着いていました。大急ぎでドアに向かえば降りられたかもしれませんが、微妙でした。バタバタした挙句、結局降り損なってはみっともないです。

 そこで、うろたえることなく、堂々と渋川駅で降りることにしました。

 渋川でよい上りがあると良かったのですが、来るのは40分先です。早く帰りたかったのでタクシーに乗ってしまいました。

 タクシーで八木原駅まで1540円かかりました。うとうとしたせいで、とんだ散財になりました。痛い目に遭ったので、今度は気をつけようと、身にしみて感じました。(^_^;

 渋川駅前にはこのような飾りがありました。ささやかながら季節の風物詩ですね。
Shibulight

2015年12月 6日 (日)

栃木で学会(2)三十六歌仙の人形

 大会の企画の一部として、折口信夫の展示がありましたが、その会場内に三十六歌仙の博多人形が展示してありました。

 36体並ぶと壮観です。
36kasen
 作者は、「現代の名工」、「福岡県無形文化財」、「伝統工芸士」など、超一流の方々十数名の分担制作で、國學院大學栃木学園の所蔵だそうです。

 いくつかご紹介します。

 柿本人麻呂。
36kasen01
 山部赤人。
36kasen02
 大伴家持。
36kasen03
 在原業平。
36kasen04
 小野小町。
36kasen05
 小野小町だけ後ろ向きで顔が見えません。美しすぎて表現できないのでしょう。百人一首の絵札もそうでしたっけ。

2015年12月 5日 (土)

栃木で学会(1)

 今日明日、國學院大学栃木学園教育センターで全国大学国語国文学会が開催されますので、栃木市に来ています。

 窓から筑波山が見えました。
Tsukubasan
 こちらは日光の男体山のようです。
Nantaisan
 折口信夫の展覧会も開催中です。
Orikuchi01

 写真撮影OKとのことでしたので、撮らせて貰いました。
Orikuchi02_2
 今日はシンポジウムと懇親会、明日は研究発表会です。

 懇親会場の荷物置き場にこのようなものが。
Iwamin03
 奈良からの会員でしょうかね。♪

2015年12月 4日 (金)

みとちゃんとツーショット

 今日、高崎での乗り換え時間が7分ほどありましたので、この時間を使って本屋さんに行こうと思い、改札を出たら、ハッスル黄門、みとちゃん、梅娘(人間)が水戸のキャンペーンをしていました。

 ゆるキャラがいると撮したくなります。(^_^)

 撮そうとしたら電池切れでしたが、「安心してください。予備ありますよ」といった感じで、電池を替えて撮しました。

 ハッスル黄門です。
Hassurukomon
 みとちゃんです。
Mitochan01
 撮影していたら、スタッフのお兄さんが近寄ってきて、「みとちゃんとツーショット撮りますか?」と聞かれました。

 「いやぁ……」と辞退しかけたのですが、まほろぐのネタになるかと思い、撮って貰いました。(^_^)
Mitochan02
 電池切れも含め、大分時間が掛かってしまいましたので、本屋さんには寄れなくなりました。(^_^;

2015年12月 3日 (木)

大仏様の髪の毛

 今日のアサヒコムに「奈良の大仏、髪の量半分だった レーザー解析で定説覆る」という記事がありました。

 平安時代に書かれた『東大寺要録』には、奈良の大仏の螺髪の数を966と記載してあるそうです。←『東大寺要録』、家にあるんですけど、その書架まで行き着けません。(^_^; それで伝聞扱いです。

 この数字がずっと信じられていたのが、東京大生産技術研究所のレーザー光を使った解析によって、螺髪の数は492(ただし、9つ欠落しているので現存しているのは483)であることが判明したそうです。

 966でも、492でも、多いのか少ないのか、ピンときません。(^_^;

 でも、ずいぶん数が違いますね。

 大仏の頭部は当初のままではありませんので、当初は966あったのが、修復の際に492に減ったのかどうか、それは明らかでないそうです。

 大仏には光背があるので、背後の正確な数が数えられなかったのが、レーザー解析で背後まで計測できたそうです。

 にしても、966と492とでは大きく違いますね。今まで、正確な数は分からないにしても、おおよその数なり数えてみようということはしなかったのでしょうかね。後世修復されていることは分かっているのに、『東大寺要録』の数字がそのまま現行の数として生き続けてきたというのも不思議です。

 世の中、意外と油断ならないことがあります。

 なお、この記事、「髪の毛が半分」という点に食いついて本文を読みました。

 髪の毛が増えたとか減ったとかいう言葉に敏感になっています。(^_^;

 画像がないと寂しいので、昔撮った大仏さんの写真を貼っておきます。多くのお寺で堂内撮影禁止なのに、東大寺や飛鳥寺では撮影自由なのが嬉しいです。
Daibutsu
 この写真では492もありそうには見えませんけど。

2015年12月 2日 (水)

スケートセンターとコラボ

 今日は定例の教授会の日です。その席上、このようなチラシが配られました。
Isesakiskate
 この伊勢崎のスケートセンターとは、うちの美学美術史学科が兼ねてからご縁があり、壁画を描いたりしてきました。

 今度のイベントでは、景品のうまい棒のパッケージや消しゴムのパッケージの絵を描いたそうです。

 教授会でも、教員全員に、うまい棒と消しゴムが配られました。

 私、うまい棒って、まだ食べたことがありませんでした。(^_^;

 これがオリジナルうまい棒です。他にも種類がありました。
Umaibo
 私が貰った消しゴムです。これも何種類かありました。全く無作為に選んだら、うさぎでした。満足です。♪
Isesakikeshi

2015年12月 1日 (火)

前橋市の旧町名

 昨日掲載した前橋文学館の展覧会は、地元の自治会との関係が深い企画展と思いました。右衛門七のお母さんのお墓がある大蓮寺も前橋文学館の近くですし。

 うっしーさんのコメントによれば、空襲慰霊碑も町内会が管理しているとのことでした。

 そういえば、あの慰霊碑の所在地も近くです。

 ふと、昔の町の境界のことが気になりまして、古い地図帳を引っ張り出してきました。下の図は昭和32年の地図です。大蓮寺は中央にあります。
Maebashikyu
 地図に記載された町名を拾うと、清王寺町、琴平町、向町、細ガ沢町、小柳町、神明町、北曲輪町、竪町、立川町、諏訪町、横山町、桑町、萱町、榎町、紺屋町、曲輪町、などが見えます。

 下は現代の地図です。
Maebashishin
 ここに見える町名は、若宮町、平和町、住吉町、日吉町、大手町、千代田町、城東町、です。

 何と言いましょうか。全取っ替え。「地名は形のない文化財」という観点から見たら、無惨とも言えそうな状況です。

 これは合併によるものではなく、昭和37年5月10日に施行された「住居表示に関する法律」によるものです。

 私が住んでいた町でも住居表示が変わりました。私のところは、町名は変わらず、それまでの「1丁目235番地」が「4丁目9番6号」に変わったのでした。

 新住居表示によって、行政や郵便配達等の合理化は図られましたが、その一方で、長年親しまれてきた多くの町名が統合や廃止によって失われました。

 町名はそのままに、数字の付け方だけ変えれば良さそうなものですけど、そういうわけではなく、1つの地名の広さとか、街区との関係などもあるのでしょうね。

 前橋市の場合は、個々の町域が狭すぎたり、道路との関係が適当でなかったりして大きく変える必要があったのかもしれません。それでも、旧町名はなるべく残すという方法もあったのでしょうが、そうすると、残る町名と消える町名とができてしまうので、そういう不公平を失くすために、全部がらりと、ということなのかもしれませんね。

 やはり、「無惨な」という気がします。

 一方、今50代以下の人たちは、物心ついたときから、現町名に親しんでいるわけですから、現地名に対する愛着もありましょう。

 なかなかねぇ。

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