善光寺境内の供養塔
善光寺の境内には多くの供養塔がありました。近代の戦没者を対象としたものもありますが、江戸時代以前のものもあれこれありました。
最も古そうなのは、源義経の家来である佐藤嗣信・忠信のもので、若くして亡くなった兄弟の供養のために、兄弟の母が善光寺に参詣して建てたという伝えがあるそうです。ただ、応永四年(1397)の銘があるそうですので、200年ほど時代が遅れます。
下は徳川三代将軍家光の正室や乳母の春日局など大奥関係者の供養塔です。善光寺は大奥の人たちの篤い信仰を集めたのでしょうね。
下は松代真田家の供養塔です。真田家は地元の領主として善光寺と深いゆかりがあります。今もご開帳の際の回向柱の用材は松代町が寄進しているとのことです。
さて、これら真田家の供養塔のうち、左から2つ目のやや小ぶりのものには戒名と没年とが刻まれています。これは供養塔というより墓石のようですね。
戒名は、「縁芳院殿樹林惟馨大姉」と読めます。没年月日は「貞享元年甲子四月廿一日」ですね。
笠の部分には六文銭の家紋と、菊と葉の家紋が刻んであります。
字が書いてあると、俄然興味が湧きます。サガのようなものです。(^_^) さて、この人物が誰なのかネット検索してもヒットしません。
でもね、以前ネットオークションで入手した真田家の過去帳の幕末の写本を所持しています。(^_^)
これに載っていました。右から3人目です。
命日も合います。真田家二代の信政の息女で、青山和泉守忠親の妻になった人物です。青山家の家紋は青山菊、軸付葉菊だそうで、これも合います。
ネットオークションでいろいろと訳の分からないものを購入して家計を圧迫していますけど、ごくたまには役に立つこともあります。(^_^)
史資料って、必要な時に見つけようと思っても、そううまくは手に入りません。見つけた時に、「いつか使うかも」と思ったら買っておかねば。
とはいえ、大部分は買っても使わないんですけどね。(^_^;
« 善光寺回向柱のナゾ | トップページ | 善光寺拾遺 »
「史跡めぐり」カテゴリの記事
- 大河「光る君へ」の大野山(2024.12.02)
- 飛鳥・藤原の遺跡群が世界遺産の国内候補に(2024.09.09)
- 前橋城の土塁&渋川の家は寒い(2024.01.27)
- 昨日は乙巳の変(2023.06.13)
- 今日は関ヶ原合戦の日(2021.09.15)
「歴史」カテゴリの記事
- 『ならら』最新号の特集は「昭和100年」(2024.12.28)
- 『光る君へ ART BOOK』(2024.12.16)
- 『光る君へメモリアルブック』(2024.12.13)
- 萩松陰神社の絵はがきに(2024.12.08)
- 萩の松陰神社のクラウドファンディング(2024.12.07)
「民俗・宗教」カテゴリの記事
- 『ならら』最新号の特集は、修二会創始者の実忠和尚(2025.01.31)
- 萩の松陰神社のクラウドファンディング(2024.12.07)
- 『ならら』最新号の特集は「春日若宮おん祭」(2024.11.30)
- カプセルトイの四天王像(2024.11.27)
- シンポジウム「方言で味わう郷土食の多様性」(2024.10.29)
コメント
« 善光寺回向柱のナゾ | トップページ | 善光寺拾遺 »
さすが,源さんですね。
真田さんのお墓まで調べるなんて。
私も善光寺へ行ったことがあるのですが,
萩の花ばかり写していました。
てっきり大河ドラマの取材かと思いましたけど…。
心配しないで。
訳の分からないものではなくて,
源さんの場合は,古代文学研究に生きてくるものだと思いますから。
投稿: 萩さん | 2015年10月22日 (木) 22時35分
萩さん
あ、そういえば萩は気付きませんでした。もう花の時期は終わってしまいましたかね。長野は標高が高いので、萩の時期も早めでしょうね。
いや、ほんと、わけの分からないものが多いです。(^_^;
でも、玉石混淆では全部棄てられてしまいかねません。元気なうちにちゃんと仕分けしておかねば。(^_^)
投稿: 玉村の源さん | 2015年10月22日 (木) 23時45分