『年数早見年代記』と年齢・回忌
このようなものを入手しました。これは袋です。
中身は1枚紙で、2つの表から成っています。1つ目の表は、右上のマスが「大化」から始まり、1つのマスに年号が1つずつ入っています。最後のマスは「天正」です。南北朝時代は、北朝と南朝の年号が両方とも立ててあります。
右上隅のあたりをアップで示します。「天平神亀」とあるのはご愛敬です。
「大化」には「五」という数字が入っています。これは大化が五年まであったことを示しています。左側には朱で「千二百廿一」とあります。これは、この表が刊行された年を基準にして、大化元年が1221年前に当たることを示しています。
今なら西暦を使って自由に計算ができるので便利ですが、西暦が一般的でない時代には、この表はさぞ便利だったことでしょう。
2つ目の表は、右上のマスが「天正四」から始まって、1マス1年で作られています。表の右端には十二支が配置されていますので、それぞれの年の干支も分かります。
末尾付近をアップで示します。
最後の年は元治二年です。「五」が丸で囲んであるのは、閏五月があったことを示しています。
さて、この元治二年には朱で「一」と書いてあります。この数字はこの表の刊行年から1年前であることを示します。元治二年が1年前、元治元年が2年前ですね。私は現代人なので、この表が刊行された年を元治三年と考えました。元治三年を基準にすれば元治二年は1年前に当たります。ところが、元治二年は4月7日に慶応と改元され、元治三年はないのでした。
とすると、この表が刊行されたのは元治二年でしょうね。元治二年の翌年に刊行されたのなら、「元治二」のマスには「慶応」と記されたはずです。
袋にも書いてあるように、この表は毎年新版が刊行されたのでしょう。刊行時期は新年早々か、あるいは前年の暮と推定されます。たぶん、元治二年早々かその少し前の刊行なのでしょう。
現代人の感覚では、元治二年が基準年なら、そこに「一」と入っているのはおかしい気がします。この朱の数字、「○年前」を示す数字と考えていましたが、そうではなくてその年生まれの人の年齢を表していると考えるとすっきりします。数え年では、生まれた時に1歳で、年が明けると2歳になります。この表は年齢早見表として使えます。
そしてさらに、故人の年忌法要を知る時にも使えます。人が亡くなるとお葬式をして、翌年が一周忌、次の年が三回忌となります。亡くなって六年後が七回忌。かねがねどうして一年早く回忌法要になるのだろうと不思議に思っていました。その疑問が氷解した気がしました。
要するにゼロとか満とかいう概念がないわけですね。生まれた時が1歳で、翌年は2歳、3年目は3歳になるのと同じ。亡くなった時が1年目、3年目は(満2年ではあっても)三回忌、7年目は(満6年ではあっても)七回忌なのでしょう。
この表は弘法大師の千年忌がいつなのかとか、芭蕉翁の百五十年忌がいつなのかとか、そういうことを知る役にも立ったことでしょう。
この表を入手してつらつら考えたお蔭で、年来の疑問が氷解してすっきりしました。♪
さて、元治二年は1865年ですので、645年の大化元年は、1865-645=1220で、1220年前に当たります。年齢や年忌を知るためには朱の数字がそのまま使えますけど、○年前を知るためには朱の数字から1を引く必要があります。
これどうなんでしょうねぇ。現代人は、去年の出来事は1年前の出来事と考えますけど、昔の人は、去年の出来事は2年前という数え方をしたのでしょうかね。それならば引き算をする必要はありません。新たな疑問が生じました。
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