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2015年9月 3日 (木)

高崎市で出前講座(H27)

 今日は高崎市で出前講座をしてきました。テーマはおなじみの「群馬の万葉歌」です。

 万葉集東歌の中から、比較的高崎に近い地域の歌を取り上げて話をしました。レジュメは次の通りです。このレジュメの他に、プロジェクターを使って、地図や写真を60枚ほどご披露しました。その中に、新幹線の車中から撮した佐野の舟橋碑、甲波宿祢神社旧社地、佐野のわたし駅もあります。楽しんで頂けました。(^_^)

 いつもは時間が足りなくなってしまうのですが、今回は辛うじて収まりました。

 白村江の戦いの頃に、出征兵士やその家族達がよんだ歌が万葉集に載っていないのはなぜですか? という質問を頂きました。

 なぜと言われても、載っていない理由を答えるのは難しいです。

 白村江の時代というと、初期万葉の時代ですから、そのころはまだ和歌は宮中でのみ作られていて、広く作られるには到っていなかった、というのは1つの答えにはなりましょう。

 作られたけれども残らなかったという答えもあり得ましょうか。

 第1期の作者はあらかた皇族、第2期の作者は皇族と宮廷歌人、第3期以後、作者層が飛躍的に拡大するわけですけど、これは作歌状態の実態を反映したものなのか(通常、そう考えられていますよね)、それとも残り方の結果に過ぎないのか、学生時代から疑問に思いつつ、今に到っています。

 画像がないとさみしいので、ぐんまちゃん画像の中で何か飛鳥・奈良時代っぽいのがあればと思ったのですが、これくらいしかありませんでした。
Gunmac_yoroijin

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コメント

>作歌状態の実態を反映したものなのか・・・、それとも残り方の結果に過ぎないのか

そうですよね。第一期、残っている和歌は宮中のもののみしか残っていないわけですが、その同時代にそれ以外の場面で和歌が詠まれなかったというのは考えにくいですしね。
それに巻17以降では家持周辺の歌だけが基本的には残されているわけですが、祖でない立場の人々が和歌を詠まなかったいうふうには考えにくいですしね。

三友亭主人さん

 本当に、長い間ずっと頭に引っ掛かっています。

 どうなのでしょうね。これまた木簡が発見されれば、定説が大きく揺らぐことになりそうに思います。

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