片岡源五右衛門の書簡(贋)
今ヤフオクに、片岡源五右衛門が大石内蔵助に宛てた手紙が出品されています。
主君が松の廊下で吉良上野介に刃傷に及び、田村右京大夫に預けられたことを知らせる内容ですが、日付が元禄十三年三月十四日巳下刻となっています。
年が1年早いし、十四年のこの時刻なら、刃傷が起きた頃でしょうか。まだ田村右京大夫にお預けにはなっていません。
古文書の真贋はさっぱり分からない私ですが、このくらい分かり易いと、さすがに私にも贋作だと分かります。(^_^;
あと、片岡の署名のところに血判のようなものが捺してあるし、末尾に「播州赤穂藩急使」などと書いてあるし。なんか、ツッコミどころ満載です。
宛先の大石内蔵助の表記が「内蔵之介」となっているのもダメと思ったのですが、大石の書簡に、自分の署名を「内蔵介」と書いたものがありますので、これはアリのようです。
真贋の鑑定はなかなか難しいです。
とはいえ、この文書は明らかにダメでしょう。
5000円で出品されていて、1人入札しています。
「これ、偽物ですぜ」と知らせたい(営業妨害ですけど)ところですが、そのすべがありません。(^_^;
その人も、偽物であることは重々承知の上で、話のタネに入札しているだけかもしれません。
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出所は映画や芝居の小道具かなんかじゃないの? と思ってみたり。
東映時代劇映画で千恵蔵御大が使っていたりしたら別の価値がでますねw。
数あるつっこみどころの中の一つとしての話題ですけど、最後に「赤穂藩」とある点どうでしょう?
元禄時代に「藩」と称していたのは水戸の徳川家くらいではないのですかね?(これは安積の覚さんが「保建大記」の跋文中に「水藩」と書いていたので確認済。なお覚さんの署名では「水府」とあります)
「藩」という言い方は、尊皇思想と関係すると聞いたことがあります。
基本的に諸国の御殿様は「藩主」ではなく「大守」と呼ばれていたようです。
投稿: 惟光 | 2015年8月14日 (金) 20時12分
惟光さん
う~ん。小道具の可能性もありますかね。
としても、元禄十三年という年号の誤りがお粗末ですね。(^_^;
確かに、小道具だとすれば、どの作品で誰が手にしたのかということ次第で、面白いことになりそうです。(^_^)
はい。「藩」という語は、自分では調べていないのですが、幕末以降に広く使われ出した用語だということを聞き及んでいましたので、ツッコミどころの1つに上げました。
水戸家では元禄時代にも「水藩」という表記があったのですか。さすが尊皇攘夷の家ですね。
投稿: 玉村の源さん | 2015年8月14日 (金) 21時28分