天理で未知の石室発見
標題のような記事がアサヒコムに載っていました。
巨石を積み上げた石室が天理市豊田町で発見され、時代は7世紀前半とのことです。
豊田町を地図で見てみますと、天理教本部の北から北東にかけての地域のようです。石上神宮からもそう遠くない場所ですね。
とすると、被葬者はやはり物部氏関係の人物の可能性が高いのでしょうね。物部守屋が蘇我馬子と戦って敗れたのが6世紀終盤ですので、守屋の子どもか孫の世代ということになりましょうか。
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なんかまた出てきましたね。
立地からすると、布留の里を見下ろす小高い場所。
なんか意味ありげですね。
投稿: 三友亭主人 | 2015年4月29日 (水) 23時02分
三友亭主人さん
出ますねぇ。(^_^)
ほんと何が出るか予測も付かないところが楽しいです。
小高い場所ですか。布留の里を見守って欲しいという願いを込めての立地なのでしょうかね。
あるいは布留の里からよく見える場所にいて欲しいという願いに依るのか。興味深いです。
投稿: 玉村の源さん | 2015年4月29日 (水) 23時15分